志村けんさん最後まで「コント職人」不器用だが愛情豊か…評伝

引用元:スポーツ報知
志村けんさん最後まで「コント職人」不器用だが愛情豊か…評伝

 国民的お笑いグループ「ザ・ドリフターズ」のメンバーでタレントの志村けん(本名・志村康徳=しむら・やすのり)さんが29日午後11時10分、新型コロナウイルスによる肺炎のため、都内の病院で死去した。70歳だった。20日から入院中で、23日に新型コロナウイルスの陽性と判明。人工心肺装置を使うなどの治療を続けたが、29日未明に容体が悪化した。遺族の意向で通夜、葬儀・告別式は近親者のみで執り行う。お別れの会については後日、発表される。

 「やっぱり僕は子供が見ても、大人が見ても、年寄りが見ても、笑えるコントをやりたい」(自伝「変なおじさん」より)。テレビのバラエティーが軽妙なトークや企画主体へと変化する中で、最後まで「コント職人」としてのプライドを持ち続けた志村さん。動きだけで面白くて、ちょっと下品な笑いに日本中が熱狂した。型破りにも見えるが、しっかりした台本があってのもの。映画や日常で見たおもしろい人の研究に余念がなかった。

 元来シャイで「テレビで素を出したくない」「僕の笑いは言葉じゃない」とトーク番組は敬遠したが、ひとたびキャラクターにふんした時の、何かが乗り移ったような爆発力は天下一品。同時代に、ともに第一線を走ってきたビートたけし、タモリ、明石家さんまを「同じことをやったら絶対にかなわない」と認めつつ、自著では、日本語の分からない外国人から「日本で一番おもしろいコメディアンは志村けん」と言われたと誇らしげにつづっていた。

 笑いの原点は体当たりのドタバタ喜劇で名をはせた米国のジェリー・ルイスだが、ビートルズやR&Bといった音楽が土台にある。中学校の教師だった厳格な父・憲司さん(故人)への反発からコメディアンを目指し、コント55号かドリフか、どちらに入門するか悩んだが、コミックバンドとしてビートルズの前座も務めたドリフの門をたたく。付き人から正式メンバーになった当初は人気が定着せず悩んだ時期もあったが、「東村山音頭」で子供の心をつかむと、「カラスの勝手でしょ」「ヒゲダンス」で一世を風靡(ふうび)した。いずれも音楽が効果的に使われているが「音楽をプラスすると笑いが強くなる」。1人でコント番組を始めてからもBGMは全部選曲した。

 「バカ殿様」「ひとみばあさん」などの人気キャラクターの中で、最も好んだのが「変なおじさん」だった。「女好きで、スケベで、僕の分身みたいな人だから。実生活では僕もずいぶん『変なおじさん』だと思う」。女性とは何度も同せいしたが、最後まで結婚には踏み切れなかった。「本番が近づくと、そばに寄ってこられると嫌になる」と言いつつも、番組でも共演した母の和子さん(15年死去)に「早く孫を見せてやりたい」と語ることもあった。

 芸名の「志村けん」は、反発していたはずの父の名前をもらったものだった。不器用だが愛情豊かな志村さんらしいエピソードだが、両親との天国での早すぎる再会となってしまった。 報知新聞社