若松節朗監督、合言葉は「うそはない?」当事者も驚くリアルなセット…映画Fukushima50連載〈9〉

引用元:スポーツ報知
若松節朗監督、合言葉は「うそはない?」当事者も驚くリアルなセット…映画Fukushima50連載〈9〉

 オファーは5年前。日航機墜落事故をモデルに映画化した「沈まぬ太陽」(09年)でタッグを組み、今作の製作代表でもあるKADOKAWA・角川歴彦会長に「世界から称賛された人たちを知らせないのは日本人として失礼だ。君、やってくれよ」と依頼された。

 「題材が題材だけにすぐにやりましょう、というわけにはいかなかったし、躊躇(ちゅうちょ)もあったけど、原作を読んだら映像が浮かんできた。福島の原発事故を記録映画ではなくエンタメとして見せて多くの人に知ってもらうのは、映画人としての役割、責任だと思ったんです」

 約2か月間の撮影現場では「うそはない?」が合言葉。特に、メインの舞台となる中央制御室と緊急時対策室のセットには、パネルや計器のデザインなど細部まで徹底的にこだわった。

 「ある意味で全部“本物”なんです。もちろん実際に現場に取材に行った。写真を撮るのは駄目と言われたので美術スタッフと僕らで全部長さを測ってスケッチして、同じように作った。9年前、現実にあった話だからこそ、うそはつけないというのが大命題だったんです」。当時の原発作業員も驚くほど、リアルなセットに仕上がった。

 監督作の「空母いぶき」(19年)に出演した佐藤浩市(59)、「沈まぬ太陽」に主演した渡辺謙(60)の「映画界の最高峰の2人」を中心に、危険と隣り合わせの現場には、いい意味で緊張感があったという。

 「初日に諏訪湖のそばの廃屋の工場で撮影した、建屋の水素爆発のシーンが壮絶だったんです。とにかく寒い、粉じんやゴミだらけ、地面はグチャグチャ。体力的にとても大変でしたが、こんな大変な撮影を2か月続けるという覚悟が、スタッフや役者に口で言わなくても伝わったのかな」

 原発についての是非は、あえて結論づけていない。「反原発とは一言も言ってないし、ギリギリで(表現を)我慢した部分もある。まずはあの状況下で、命を懸けて闘って、最善を尽くした人たちがいたことを知ってほしいんです。その上で原発はどうなんだろう、という論議になればいい」(土屋 孝裕)

 ◆若松 節朗(わかまつ・せつろう)1949年5月5日、秋田県生まれ。70歳。日大芸術学部卒業後、テレビドラマのADなどを経て共同テレビジョン入社。ドラマの演出を手がけつつ、94年「COMPLEX BLUE」で映画監督デビュー。「ホワイトアウト」(00年)、「沈まぬ太陽」で日本アカデミー賞優秀監督賞受賞。 報知新聞社