遠い異国で親父の名を叫ぶ――『シェンムーIII』で郷愁の念に駆られながらコントローラーを叩いていた僕

引用元:IGN JAPAN
遠い異国で親父の名を叫ぶ――『シェンムーIII』で郷愁の念に駆られながらコントローラーを叩いていた僕

15歳で母国のオランダを離れた人間として、「シェンムー」はなにかと共感しやすい作品だ。主人公である芭月涼は18歳という若さで日本を旅立ち、『シェンムーII』では1人で香港や中国の異国を彷徨うようになる。
日本を離れた涼、日本へ向かった僕は一点すれば逆の立ち場だが、若くして母国を離れたという意味で同じなのだ。もちろん、僕には父親を殺害した中国拳法家の仇討ちを果たすという目的はない。だが、宿泊先もお金もなく見知らぬ異国の大都会を歩く涼の姿は、自分が東京に来て間もない頃の生活と極めて重ねやすい。

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それから18年のときが経過して、『シェンムーIII』が発売された。涼は相変わらず18歳だが、僕はすでに妻子を養う32歳だ。オランダに戻ってはいないが、日本はとうの昔から異国と認識しなくなった。そういう意味で、『シェンムーIII』をプレイする僕は昔のように涼に感情移入するというよりは、昔の自分の影を見守るような気分でプレイしていたと言えそうだ。
しかし、『シェンムーIII』では涼の旅のリズムも少し変化する。特にゲームの前半が展開する白鹿村ではそうだ。九龍城のビルから飛び降りたり、黄天会という香港の暴力団にほとんど1人で立ち向かったりしていた涼が、今では桂林の山奥の片田舎で、巻を割ったり釣りをしたりしている。夜になるとヒロインである莎花の家に戻り、その日の出来事について会話して就寝する。旅よりも「滞在」に近い感覚だ。
ここから先は「シェンムー」シリーズ(『III』を含む)に関するネタバレが含まれるので、中止してほしい。
涼は「仇討ち」という目的を追いかける過程で、自然と父親の過去を辿る旅をしているのがなんとも興味深い。鈴木裕が20年以上も前に構成したこのテーマは、『シェンムーIII』でついに本領を発揮していく。
そう、シリーズのファンなら『シェンムーIII』をプレイする前から知っていたように、白鹿村はかつて涼の父親である巌が訪れた地だ。巌が持ち去った2枚の鏡もこの白鹿村でしかとれない洮河緑石で作られている。ゲームのタイトルである「シェンムー」がここにある木の名前で、シリーズのヒロインである莎花の家の前にある。白鹿村はすべてにおいて、「シェンムー」という物語の中心にあるように思えるし、ここに多くの手がかりが眠っているに違いない。

しかし、2001年の『シェンムーII』から語られないまま残っていた謎は、思ったほど回収されなかった。もちろん、巌が白鹿村を訪れた際の写真で一緒に写っている人物が趙孫明であることや、2人がここで武術の修行をしたことはわかったし、鏡が皇帝のために作られ、皇帝の使いが村にやってきた記念に花橋が掛けられたことも明らかになった。
しかし、莎木はなぜゲームのタイトルに使われるほど重要な木なのか、鏡は具体的に何のために作られたのか、そして巌と趙はなぜ急に白鹿村を離れることになったのかなど、謎のままになっているものも多い。これら謎が白鹿村という地と密接に繋がっていることを思えば、『シェンムーIV』以降で再び白鹿村を訪れる必要があるように思う。
だが、私にとって、白鹿村はもはや「謎の答えとなる地」というよりも、1カ月以上生活した第2の故郷のような場所だ。
白鹿村の滞在で最も感慨深かったのは、莎木という木でもなければ鏡の謎でもなかった。かつてここを訪れた巌の足跡が何よりも僕の胸に刺さった。父親を喪い、独りで遠い異国へと旅立った涼。彼は一見すれば日本から遠ざかっているが、実は自分のルーツへと近づいていたのかもしれない。

白鹿村の三清泉には大きな桜の木がある 。 芭月家の庭にも桜の木があり、涼は小さい頃からこの木の下で父親に稽古をつけられてきた 。 三清泉の桜の木の幹の中央には傷ついている部分があるのだが、これを見ると涼はなぜかすぐに巌のことを思い出す 。 その後に、三清泉に住む鳳という人物が現れ、驚いたような口調で「いわお!」と言う 。 鳳は武術家で、巌が白鹿村にいた頃は共に修行していたそうだ 。 涼が若い頃の巌とあまりにも似ているので、巌が帰ってきたのではないかと、一瞬勘違いしたようだ 。 巌が白鹿村にいた頃から20年も経っているので、巌がもう昔のように若くないということは、鳳ももちろんわからないわけではない 。