八千草薫さんも…2019年亡くなった著名人の墓碑銘 【9月~12月】

八千草薫さんも…2019年亡くなった著名人の墓碑銘 【9月~12月】

【作家・安部讓二さん (82) 】 9月2日死去
小説「塀の中の懲りない面々」などで知られる作家の安部譲二さんが9月2日急性肺炎のため亡くなった。 82歳だった。

【画像】中曽根康弘さん・梅宮辰夫さんら亡くなった方々

私立麻布中学在学中に暴力団安藤組に出入りし、高校卒業後は日本航空に入社、客室乗務員として働いていたが、暴力団組員であることが発覚し退社することになった。1987年刑務所服役中の体験をまとめた「塀の中の懲りない面々」を出版。ベストセラーとなり映画化もされた。その後は俳優、タレントとしても活躍していた。

【大相撲井筒親方・福薗好昭さん (82) 】 9月16日死去
大相撲の横綱・鶴竜の師匠、井筒親方が都内の病院ですい臓がんのため9月16日に亡くなった。 58歳だった。

現役時代、逆鉾(さかほこ)のしこ名で最高位、関脇まで昇進した井筒親方は「もろざしの名人」と呼ばれ、殊勲賞5回、技能賞4回を受賞した。弟の寺尾、現在の錣山(しころやま)親方とともに、相撲人気を支えた。 引退後は、親方として、鶴竜を横綱に育て上げた。

【ソプラノ歌手・佐藤しのぶさん (61) 】 9月26日死去
日本を代表するソプラノ歌手の佐藤しのぶさんが、9月29日に亡くなった。 61歳だった。

文化庁のオペラ研修所を、最年少・首席で卒業した佐藤さんは、ウイーン国立歌劇場をはじめとする世界の舞台に立ち続けてきた。2009年11月には当時の天皇陛下の即位20年を祝う国民祭典にも出演するなど、日本を代表するソプラノ歌手として活躍していたが、9月、体調不良から公演をキャンセルすることが発表されていた。

10月亡くなった方

【プロ野球・金田正一さん (86) 】 10月6日死去
プロ野球・通算最多勝利“400勝投手”の金田正一さんが10月6日未明急性胆管炎による敗血症のため、東京都内の病院で亡くなった。86歳だった。

金田さんは1950年に当時の国鉄に入団。沢村賞など数々のタイトルを受賞し、1965年に巨人に移籍したあとも勝利を重ね、前人未到の400勝を達成した1969年に引退した。「カネやん」という愛称でも知られ、引退後はロッテ監督のほか、テレビタレントや解説者としても人気を集めていた。 ソフトバンク・王貞治球団会長はコメントで「巨人に入って初めて金田さんと対戦した時は、別格以上の、それこそ大別格な投手だと感じました。わたしにとって金田さんは、大切な恩人の一人です。謹んでご冥福をお祈りします」と大投手をしのんだ。

【女優・八千草薫さん (88) 】 10月24日死去
“日本のお母さん”として愛された女優の八千草薫さんが10月24日膵臓がんのため都内の病院で亡くなった。88歳だった。

八千草さんは1947年に宝塚歌劇団に入団。清純で可憐な娘役として一世を風靡し、雑誌企画の「お嫁さんにしたい女優」で何度も1位に選ばれた。1957年に宝塚歌劇団を退団してからは、本格的に映像の世界に進出。1972年『男はつらいよ 寅次郎夢枕』、2002年ドラマ『東京物語』、2009年『ディア・ドクター』など、数々の作品に出演し、1997年に紫綬褒章、2003年に旭日小綬章を受章。映画・ドラマの他にも、CMやバラエティーで活躍。その穏やかで品のある佇まいで、幅広い世代に親しまれた。

【元国連難民高等弁務官・緒方貞子さん (92) 】 10月29日死去
国連難民高等弁務官などを歴任し、世界を舞台に活躍した緒方貞子さんが亡くなった。92歳だった。

緒方さんは、日本初の女性国連公使などを経て、国連で世界の難民問題を扱う重要ポスト、国連難民高等弁務官をおよそ10年間務めた。その後、国際協力機構(JICA)の理事長を歴任するなど、国際社会を舞台に活躍した。
国連のグテーレス事務総長はコメントを出し「緒方さんは信念に基づき、思いやりがあり、効果的な難民支援の基準を作り上げた」と功績をたたえた。葬儀に先立ち、聖心女子大学の後輩で、長年、緒方さんと深い親交がある上皇后さまも弔問された。