キング・クリムゾンの革命的なデビュー作『クリムゾン・キングの宮殿』

引用元:OKMusic
キング・クリムゾンの革命的なデビュー作『クリムゾン・キングの宮殿』

OKMusicで好評連載中の『これだけはおさえたい洋楽名盤列伝!』のアーカイブス。今回はキング・クリムゾンの世界中を驚愕させた革命的なデビュー作『クリムゾン・キングの宮殿(原題:In The Court Of The Crimson King)』 を取り上げたい。ロバート・フリップを中心に、キング・クリムゾンの第1期メンバーが生み出した本作は、まさにロックに革命を起こしたと言っても過言ではないだろう。それまでの売れるロックは、どちらかと言えば「踊る」「鬱憤を晴らす」「楽しむ」といった性質を持ち、身体的な動きであったり、感覚的に浸れる部分に重点を置いたシンプルな構成の曲が多かったのだが、クリムゾンは「聴かせる」「考えさせる」「想像させる」といった、リスナーの知性や内向性に目を向けた芸術性と、クラシックやフリージャズを模範にした高い音楽性を提示し、商業音楽というよりは芸術音楽に近いスタンスの作品を創り上げていったのだ。
※本稿は2015年に掲載

1960年代後半の世界事情

このアルバムが世に出たのは1969年(今から半世紀近く前!)。ベトナム戦争は激化し、公民権運動の指導者であったキング牧師が前年の68年に暗殺された。また、オルタモントでのストーンズの公演中、黒人青年が殺害される事件があった。日本でも学生運動が激しくなって、東大安田講堂事件が大問題になっていた。世界中で大きな社会変革が起ころうとしていた時期である。アポロ11号による月面着陸もこの年だ。当時の僕は小学6年生で、毎日のように報道される様々なニュースにさらされてはいたが、ロック界では次から次へとすごいグループがデビューしていたので、毎日ロックのことばかりを考えていた。激動の世界情勢にありながら…いや、逆に激動であったからこそ、ロックは充実していたのだと思う。

この頃(60年代の終わり)、クリームやジミヘンがロックの演奏力を格段に高め、“バンド”と言うよりは演奏者個人の力量が大きくクローズアップされるようになってきた。今でこそ“アドリブ”という言葉は当たり前に使われるが、当時はジャズと演奏力が高い一部のロックグループにのみ使用が許される言葉であった。アメリカでもイギリスでもロックグループは「即興演奏」に力を注ぎ、楽曲の質やメロディーの重要性は軽んじられていた。特にロック好きの若者たちはバンド内のひとりのスタープレーヤーを追い求めたが、日本でも野球や相撲に注目が集まっていただけに、比較的すんなり受け止められていた。王や長嶋を愛するように、エリック・クラプトンやジェフ・ベックを愛したんだと思う。

もちろん、ビートルズは67年に『サージェント・ペパーズ~』を完成していたし、68年にはザ・バンドが『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』をリリースしていたから、単に年表を見るだけでは「バランス良く、いろんな作品がリリースされてるじゃん」ということになってしまうのだが、現実にはクラプトン、ジミヘン、ジミー・ペイジなど、ブルースやR&Bなどの黒人音楽に精通したギター奏者への支持率が突出していた時代であった。