【あの時・日本レコード大賞<14>】なかにし礼さん「日本にもこんな賞ができたのか」

引用元:スポーツ報知
【あの時・日本レコード大賞<14>】なかにし礼さん「日本にもこんな賞ができたのか」

◆なかにし礼さん(68・70・82年大賞作を作詞)

 “大みそかはレコ大と紅白”がお茶の間の定番だった。1959年にスタートした日本歌謡界最大の音楽イベント「日本レコード大賞」が今年、令和に入って第1回目となる。12組の歌手や作家が当時を振り返る。(この連載は2018年12月にスポーツ報知掲載の復刻)
 ※「第61回日本レコード大賞」は12月30日午後5時半からTBS系で放送される。

 なかにし礼さんは作詞家として「天使の誘惑」(68年、黛ジュン)、「今日でお別れ」(70年、菅原洋一)、「北酒場」(82年、細川たかし)で3度大賞を受賞している。作家の立場からレコ大誕生はどう見えていたのか。

 「まだ学生でシャンソンの訳詞をしていた頃で、日本にもこんな賞ができたのかと衝撃的に受け止めました。『黒い花びら』は作品も良くて水原弘さんの歌もうまく新鮮で、新しい日本の歌の行く方向を感じました。当時は専属作家の時代で、(作詞した)永六輔さんはある意味で革命児ですね」

 時代は専属制からフリー作家の時代になっていく。

 「永六輔さんが『こんにちは赤ちゃん』(63年)でまた大賞を取るんですが、その頃は作家も時代の端境期にありました。レコード会社の専属作家が主体の中、自分もフリーの作家でいくのはけっこう大変でした。でも時代の流れから、音楽出版社が台頭してきて僕とか(作詞家の)安井かずみ、(作曲家の)宮川泰、すぎやまこういち、平尾昌晃らが出てきた」

 67年に「帰らざる海辺」(石原裕次郎)や「恋のフーガ」(ザ・ピーナッツ)などで作詩賞を受賞したが、この年は記憶に残るレコ大だったそうだ。

 「この年はブルー・コメッツ『ブルーシャトウ』ですね。ライバルは『君こそわが命』(水原弘)。どっちもとってもいい曲ですが時代がコメッツを押した。そういう流れの中で僕が作詩賞を取りました。渡辺プロ、石原プロ、出版社が制作した曲で、その意味でも第9回は記念すべき大会でした」

 ―受賞を聞いた瞬間はどうでした。

 「もちろん本当に欲しかったので、うれしかったですね。作詩賞を取るとフジテレビ『スター千一夜』にも呼ばれたりして一気に脚光浴びますし、インタビューで『来年の希望は』と聞かれれば『レコード大賞を目指してます』と答えましたね」

 翌年の「天使の誘惑」を始め3度の大賞作品を作詞した。中でも細川たかしは印象深いという。

 「黛ジュンや菅原洋一も大賞を取ってますし、僕の歌(75年「心のこり」)でデビューした細川たかしも目指したかった。初めて見た時にすごいポテンシャルを感じてました。民謡歌って自然にできた喉で滑舌、喉の強さ、歌もうまい、音程もいい。『北酒場』はこの年にこれを超える曲はないと思いました」

 ―レコ大に望むことは。

 「日本の歌謡界の歴史において、初めて水原弘さんが受賞してから、全ての歌手や作家が目指した輝かしい存在として、これからも尊敬の念を集める音楽賞としてあり続けてほしいですね」(構成 特別編集委員・国分敦)

 ◆なかにし礼(なかにし・れい)本名・中西禮三。1938年9月2日、中国黒龍江省牡丹江市生れ。81歳。立教大学在学中にシャンソンの訳詞家を経て、作詞家に。多くのヒット曲を生み「天使の誘惑」「今日でお別れ」「北酒場」で日本レコード大賞を3回受賞。94年日本音楽著作権協会(JASRAC)の理事長に就任。作家としても2000年に「長崎ぶらぶら節」で直木賞を受賞。 報知新聞社