三國さん、役者同士、おやじ… 歳月と心と佐藤浩市と

引用元:中日スポーツ
三國さん、役者同士、おやじ… 歳月と心と佐藤浩市と

 映画「Fukushima50」で主演する俳優佐藤浩市(59)へのインタビューは2016年に続き2回目。1番驚いたのは父、三國連太郎さん(1923―2013年)を自ら「おやじ」と呼んだことだ。

 主演した「64―ロクヨン」(2016年)の取材時、佐藤は三國さんについて「互いに役者というスタンスしかなく、それは変わらないですね。もっと近く考えていると(心の)変化があったかもしれないですけれど」。三國の撮影所に通った子どものころの記憶が俳優の道を選ばせた、と淡々と述べつつ、言葉では「役者同士」を強調していた。

 ところが、「Fukushima-」公開前には「おやじも役者だったということもあるんだろうけど、(自分も役についての)嗅覚はあったんだろうな」。質問しなかったにもかかわらず、父について自ら触れた。4年前に「互いに役者」とぼかしていた主語は今回は「おやじ」。嗅覚が受け継がれているとも述べた。ほかの記事によると生前、「三國さん」と呼んでいた時期もある。

 親子関係をつらそうに語っていたのは前回も今回も同じだ。「Fukushima-」では、演じた当直長とその子について「おやじと娘の距離感、溝のある関係」と述べた。県警広報官役の「64」でも「家でも刑事であり続け、娘にさげすまれ、出ていかれた。申し訳ないという気持ちを抱え続けた」。家族への割り切れない思いに共感する感情が伝わった。

 歳月と心について考えてきたのは、椿宜和プロデューサーも同じ。福島第1原発事故(2011年)の後、地元では「7年目ぐらいから反応が変わったんです」。2015年ごろから福島に入り、映画化について反応を聞いた。それまでの拒否感から潮目を感じたのは2017、8年ごろ。仏教では没後6年は7回忌の節目。このころには事故も、亡くなった人のことも揺るがせない事実として心に染みつくのだろう。

 事故9年後に公開されたのはそんな理由がある。三國さんは公開1カ月後に、没後7年を迎える。