ナイナイ岡村隆史、芸人目指すきっかけは五輪銅メダリストと相方・矢部の兄

引用元:スポーツ報知
ナイナイ岡村隆史、芸人目指すきっかけは五輪銅メダリストと相方・矢部の兄

 31日に放送されたTBS系「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」(金曜・後9時)に、お笑いコンビ「ナインティナイン」の岡村隆史(49)が出演。芸人を目指すきっかけとなった意外な人物や、一度だけあったという解散危機の裏側を明かした。

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 きっかけとなった最初の人物は、ソウルとバルセロナ五輪で体操団体銅メダルを獲得した西川大輔さん(49)=現日大スポーツ科学部教授=。同じマック体操クラブ(大阪市)に通っていた岡村は西川さんについて、「天才。(地元の)スーパースターだった」と話し、同クラブでテレビカメラに囲まれる西川さんを見て「キラキラしてる。ええなあ」と思い、テレビの世界に憧れるようになったという。さらに、西川さんにはかなわないと小学生で体操を断念、中学時代はブレイクダンスに没頭した。

 もうひとりは相方・矢部浩之(48)の兄で、同じ高校のサッカー部の1学年先輩だった美幸(よしゆき)さん=現タレント事務所社長=。岡村の1学年下に矢部が入学する前から、岡村と仲が良かった。その美幸さんが高校卒業後に入ったのが吉本の養成所。矢部と一緒に劇場へ漫才を見に行った時、再び「キラキラした場所に見えた」と岡村。「知ってる人が立ってて、すごいなあ、ええなあって。相方も同じことを思ってたと思う」と話した。

 その後、養成所に入ったものの、コントの授業以外は出席せず、授業料も滞納し出入り禁止に。2か月で“クビ”という事態に、矢部とは「どうする?(漫才)辞めるか?ってなった。辞めるかってなったのはその1回だけ」と振り返った。

 この時、解散の危機を救ってくれたのが当時「心斎橋2丁目劇場」の支配人だった木山幹雄さん。“クビ”になり本来なら出演できないはずの舞台に「出たらええやん」と送り出してくれたという。

 スタジオにはその「恩人」木山さんが登場。養成所から抗議を受けながらもナイティナインを出演させ続けた理由を問われると「おもしろかったから」とキッパリ。当時の岡村について「漫才はそこそこでした」としたが、漫才以外のMCや大喜利大会などのコーナーは「全部、岡村ショーだった」と、抜きんでた存在だったことを明かした。

 そこから新人賞を獲得するなど頭角を現し東京へ進出、あっという間に売れっ子となった岡村について「そりゃあ、うれしかったですよ。中学校の先生になったような気分でした」と語った。 報知新聞社