本木雅弘、“マムシ”斎藤道三役に苦心「ヘビーです」 WEBも活用して役作り

本木雅弘、“マムシ”斎藤道三役に苦心「ヘビーです」 WEBも活用して役作り

長谷川博己が戦国武将・明智光秀を演じる2020年NHK大河ドラマ『麒麟がくる』(1月19日スタート、毎週日曜20:00~)で、美濃の守護代で光秀の主君・斎藤道三(利政)を演じる本木雅弘にインタビュー。“美濃のマムシ”と恐れられていた斎藤道三の印象や役作りについて話を聞いた。

【写真】長谷川博己ら『麒麟がくる』役衣装を披露(19年6月撮影)

本木はまず、「恥ずかしながら、斎藤道三という人物を知りませんでした」と告白。司馬遼太郎氏の歴史小説『国盗り物語』も読んだことがなかったそうで、これまでの道三像と、池端俊策氏が脚本を手掛ける『麒麟がくる』の中での道三像の違いは「よく差がわからない」と言うも、「司馬さんが書いた当時からは、別の資料が出てきて、斎藤道三1人で成り上がって国盗りをしたのではなく、親子二代でわたって国盗りをしたというのが今は通説になっている。武士の子として生まれ育ったエリートで、戦の仕方など武士としての素養を自然と磨いてきたというのが違うと思います」と説明した。

そして、「一国を一つの会社と見た時に、ビジネスマンとしてのスキルが高かった。あの当時は戦をすることが一つの大きな仕事だったわけですから、そこで大勢を率いて指示を出し勝ちに行くというのは、相当な先見性と具体的な戦略を持ってなければ乗り切れない。そこでのし上がっていったというのは優秀なビジネスマンと言えると思います」と、現代に例えて道三の才能を称賛。「非道さがあり、相手を毒殺するとか、芝居めいたことをしてずる賢く勝っていく場面もありますが、それをひっくるめて合理主義者だとポジティブに捉えています」と話した。

また、「1人で成り上がっていった人物だと、野心の塊と考えられていたと思いますが、池端さんのご説明では、戦国の人々は現代より喜怒哀楽が豊かで感情にあふれ、もっとみずみずしく濃く生きていたと。だから、ただただ野心の塊というより、道三らしい人間らしさが垣間見られたはず。明智光秀や織田信長を見出す先見性もあったということでむしろ人間に興味津々であったと思う」と分析。「つまり生きることに愛情があった。凄みとか怖さだけではない、道三なりの人に対する愛情感覚を匂わせたい」と述べ、「その時代に生を受けた自分と真正面から向き合って最後までその覚悟で生きていた人だと思っています」と語った。

■“辞世の句”を「一つの軸として心の中に…」

道三役を演じるにあたっては、ネット上で見つけた「『国盗り物語』における道三の台詞で道三らしさが出ているものを集めてみました」といった情報を参考にしたそう。「生き延びるための人間力の強さを表している道三らしいものがたくさんあったので、ノートに書き出したりしています」とそのノートを見せながら、「時代のみがわしの主人だ」、「時代がわしに命じている」、「わしは神仏など、わしの家来だと思っている」など、道三の台詞を紹介。「人間、思いあがらずになにができようか」という台詞も紹介し、「開き直っているかのようですが、自信がなくして何ができるのか、と自らを鼓舞している」と説明した。

さらに、道三の辞世の句「捨ててだに この世のほかは なき物を いづくかつひの すみかなりけむ」も紹介し、「簡単に言うと、『死んでしまえばそこで終わり、安住の地なんでどこにもない』と言って息子との戦に出ていき、そこで自分は命を落とす。命を捨ててしまえばこの世のほかの世界なんてないと言い切れるのは、最後まで今を生きる意味と向き合うという覚悟を証明するものであると思うので、一つ軸として心の中に持ちながら演じようと思っています」と語った。

また、「『下剋上』『梟雄』『マムシ』とか、人を表する言葉としては穏やかではない言葉が並んでいて、『梟雄』は梟は親さえも襲うということからきている、マムシは自分の母親の腹を食いちぎって生まれてくることから……と知っていくのがいちいちおかしくて」と、道三を表す言葉の数々に興味がわいたという。