『ROYAL STRAIGHT FLUSH』シリーズに見る、スーパースター・沢田研二の軌跡

引用元:OKMusic
『ROYAL STRAIGHT FLUSH』シリーズに見る、スーパースター・沢田研二の軌跡

OKMusicで好評連載中の『これだけはおさえたい邦楽名盤列伝!』のアーカイブス。今回はジュリーこと、沢田研二のベストアルバム『ROYAL STRAIGHT FLUSH』を取り上げたい。現在はほとんどテレビ出演がないこともあり、若い読者の中にはジュリーと言ってもピンとこない人も少なくなかろう。氏は70~80年代の最盛期にいかなる活動を展開し、シーンに何を遺したか? 手元にあるベストアルバム『ROYAL STRAIGHT FLUSH』(I~III)から検証してみよう。
※本稿は2015年に掲載

ジョンが亡くなっても、俺たちには沢田研二がいた

矢作俊彦作、大友克洋画による漫画『気分はもう戦争』をご存知だろうか? 198X年X月X日、中ソ戦争が勃発し、そこに参戦した3人の義勇兵の物語を中心に、80年代における“戦争”を、時にコミカルに、時にハードボイルドに、リアリティーあるタッチで描いた傑作である。そのサブタイトル“MONKEY SUITS”という回にこんな件がある。中ソ国境付近(東トルキスタン?)の大麻畑で戦闘が起こり、戦火が畑に燃え移り、その煙ですっかりラリッてしまったソ連兵と主人公たちが、銃弾が乱れ打たれる中、お互いにアッパーになったり、ダウナーになったり、たわいもない会話を続けていく。

そこでは、戦闘員に加えて、なぜかバスでロンドンからネパールへ向かうヒッピーたちも加わっていて、世界一シュールな戦争が描かれているのだが(※書いていて自分でも意味が分からんと思うが、実際にそういう内容なんだから悪しからず…)、その最中、主人公のひとり“めがね”にソ連兵が「ジョン・レノンがさ──殺されたんだってよー」と告げる。「ポールに?」と受けためがねは、「ジョンがね──知ってた?」と相棒の“ハチマキ”にそのことを伝えるのだが、そこでのハチマキの台詞が振るっているのだ。「騒ぐな! たかが毛唐の楽団屋じゃねーか」「俺たちにはまだ沢田研二がいる!!」。3コマ、ページの1/3程度まので漫画史的に見たら大したインパクトがあったわけではないが、ヒッピー文化の完全な終焉と当時の日本芸能文化を描き切った…と言うと大袈裟かもしれないが、確かな慧眼であったと思う。筆者は当時、少し溜飲を下げた。初版発行が1982年1月だったというから、雑誌連載はおそらく1981年だろう。ジョン・レノンという巨星は堕ちたが、あの頃、俺たちには沢田研二=ジュリーがいたのである。