父に“いらない子”と呼ばれた世界的彫刻家ルイーズ・ブルジョワの人生【前編】

引用元:ELLE ONLINE
父に“いらない子”と呼ばれた世界的彫刻家ルイーズ・ブルジョワの人生【前編】

六本木ヒルズに鎮座する巨大なクモ。その作者の名はルイーズ・ブルジョワ。世界的彫刻家として知られる彼女は、フランスを捨ててニュヨークへ逃避したことで成功を収めた。

これは実の父から“いらない娘”と呼ばれ続けた彼女が、その呪いから解放されるまでの物語。今回は、その前編をお届け。 父に“いらない子”と呼ばれた世界的彫刻家ルイーズ・ブルジョワの人生【前編】 AFLO

生まれたことで全員を失望させた娘

1911年のクリスマス。父ルイが階下で一族を集めクリスマス・パーティを開いている最中にその子は生まれた。母ジョゼフィーヌの部屋でこの世に出てきた瞬間、医師はこうつぶやいた。

「マダム・ブルジョワ、残念です」

沈痛な面持ちで伝えたのは死産だったからではない。女の子だったからだ。

タペストリー工場を営むルイ・ブルジョワにとって、待ちわびていたのは男児だけ。男児を産めとプレッシャーをかけ続け、激しい喧嘩までし続けたおかげで妻はヒステリーにまでなったのに、また女。最初の子どもが女だったというだけでうんざりしていたのに、よりにもよって二人目まで女。なんて不運な男なんだ……。

自己憐憫とないまぜになった失望感はノエルの聖なる雰囲気を壊し、その場にいた一族全員に重い空気がのしかかった。ルイーズ・ブルジョワは生まれたときから“いらない子”だったのだ。 父に“いらない子”と呼ばれた世界的彫刻家ルイーズ・ブルジョワの人生【前編】 (写真)ブルジョワの代表的作品“Cell(アーチ・オブ・ヒステリア)”GETTY IMAGES

母と兵士の呻き声

1914年、人類がそれまで体験したことのないほどの規模となった最初の世界大戦が勃発すると、父ルイは徴兵され、すぐさま戦地に移送された。無事ピエールという男の子が誕生し、ようやく落ち着いてきた直後に、母ジョゼフィーヌはまた不安に襲われる事態となった。

母と子どもたちは母の生まれ育った地元に疎開する。1日でも戦地からの手紙が届かないと、すぐにヒステリーを起こす母。道を挟んで向かい側の屠殺場からは殺されようとしている家畜の断末魔が轟き、近くの線路では毎日深手を負い生死を彷徨う血まみれの兵士たちの呻き声が昼夜問わず聞こえてきた。幼少期のルイーズは呻き声と血の匂いに囲まれて育ったのだった。