マイケル・チミノ監督『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』で結ばれた男たちの友情の数々

引用元:CINEMORE
マイケル・チミノ監督『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』で結ばれた男たちの友情の数々

 オリエンタルムードのあるエキゾティックな弦楽器の旋律と心臓の鼓動のような打楽器音。『シシリアン』(87)や『逃亡者』(90)でマイケル・チミノ監督と組んだデヴィッド・マンスフィールドによる、いかにも“バトル”=“闘い”を喚起するようなメロディで幕が開ける。そしてまさに、『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』(85)は、男と男の“闘い”を描いた映画なのだ。しかも刑事が主人公でありながら、構図としては「やられたらやり返す」というマフィア映画や日本のヤクザ映画のような類の作品だ。

 公開当時、日本の予告編では、<1972年『ゴッドファーザー』  1973年『バラキ』  1984年『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』  そして1986年陽春  巨大なバイオレンス・ドラマが上陸する!>(注:表記は映像のまま)との煽り文句と共に、なんとBGMには「ゴッドファーザー 愛のテーマ」が使われていた。映画少年だった筆者も「さすがに1973年から1984年は飛びすぎやろ?」とツッコミを入れていたのだが、それでもこのことは、当時の映画界がマフィアを題材にした映画の新たな鉱脈として、様々なバックグラウンドを持つ集団を探していたことを物語っている。

 例えば『ゴッドファーザー』はイタリア系アメリカ人、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』はユダヤ系アメリカ人といったように、移民たちの歴史とともにギャングたちの姿が描かれていた。その後も『アンタッチャブル』(87)や『ブラック・レイン』(89)、『グッドフェローズ』(90)や『キング・オブ・ニューヨーク』(90)などの作品が製作されたのは既知の通り。『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』は、そのような系譜の中で中国系アメリカ人たちによる“チャイニーズ・マフィア”を描いた作品だったのだ。 マイケル・チミノ監督『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』で結ばれた男たちの友情の数々 『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』 発売・販売元: キングレコード

酷評された公開当時

 しかし、『ゴッドファーザー』が「マフィアを礼賛した映画」との批判に晒されたのとは別の意味で、『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』は中国系アメリカ人から「差別的だ」と罵倒された(本編を観れば、アジア人に対する差別用語のオンパレードであることが判る)。

 ヴェトナム戦争に従軍したスタンリー刑事(ミッキー・ローク)は、アジア人に対する偏見や差別意識を持っているという設定。ヴェトナム戦争による後遺症というよりも、戦争に負けた腹いせでアジア人に対する憎悪があり、その怒りが中国系マフィア壊滅の原動力になっているようにさえ見えるのだ。『ディア・ハンター』(78)でハリウッド映画として初めて本格的にヴェトナム戦争を描いた、マイケル・チミノ監督による演出だけに複雑だ。

 そして、作品に対する当時の評価も散々で、第6回ゴールデンラズベリー賞では作品賞など5部門で候補となる不名誉を得ただけでなく、2,400万ドルの製作費に対して北米の興行収入が約1,870万ドルという不本意な結果に終わっている。

 それでも、『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』は今なお輝きを放っている。ミッキー・ローク演じるグレーヘアーの刑事とチャイニーズ・マフィアの若きドンを演じたジョン・ローンの“闘い”は、どこか色気が漂っていた。本作の後、ミッキー・ロークは『ナインハーフ』(86)で、ジョン・ローンは『ラストエンペラー』(87)で女性ファンを熱狂させ、ともにサントリーのCMに起用されている。

 注目すべきは、『ゴッドファーザー』に出演していたある俳優をチャイニーズ・マフィアとイタリアマフィアとの会談場面でマフィア幹部役として起用している点。彼は『ゴッドファーザー』冒頭の結婚式場面で招待客のひとりを演じ、『グッドフェローズ』や『フェイク』(97)、テレビドラマ「ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア」(99~07)でもマフィアを演じている。その男、トニー・リップは、1960年代に黒人ピアニストであるドン・シャーリーの運転手(兼ボディーガード)を務めていた人物。そのエピソードを基にした映画が、第91回アカデミー賞で作品賞に輝いた『グリーンブック』(18)なのだ。