カップ麺をすすりながら取材に応じた梅宮辰夫さんのおおらかさ

カップ麺をすすりながら取材に応じた梅宮辰夫さんのおおらかさ

城下尊之【芸能界仕事術】

 大物俳優、梅宮辰夫さん(享年81)が亡くなってから1週間が過ぎた。芸能界でも悲しみとその死を惜しむ声が相次いだ。

「優しい人」という声が多かった。

 その通りだと思う。われわれマスコミ関係者も梅宮さんにお世話になった人が多く、残念な思いでいっぱいだ。梅宮さんが以前から別荘として使っていた神奈川県の真鶴の自宅で闘病していることは伝わっていた。週3回の人工透析を続けていて、もちろん、大変ではあろうが、日常生活は続けていけると認識していただけにショックだった。

「優しい、いい人」という評判はその通りだが、長く取材をしている中で、僕が若い頃、単純に映画の取材でお会いしたこともある。当時の任侠映画、ヤクザ映画の取材だった。広島の街中でのロケで、たくさんのヤジ馬の中に明らかに“ソレ”とわかる集団がいたが、カメラの前に立つ梅宮さんはそれ以上に怖い雰囲気だった。役柄に入り込んでいるからであり、若い僕は怖くて近寄れなかった記憶がある。

 それから何十年かが過ぎた。梅宮アンナの恋愛に絡んだ取材に行ったこともある。梅宮さんは、言い方は悪いが、“捕まえてしまえば必ず答えてくれる”存在だった。

 ある時も自宅で張り込んでいたら、梅宮さん本人が車を運転して帰ってきて、取材に応じてくれた。その最後、「きょう手術を受けてきたんだよ。直腸にポリープがいくつもできて、内視鏡手術で取ってきた」と言って笑った。小さいポリープなら日帰りも可能だが、基本的には入院が必要である。僕は申し訳なくて、「早く中へ入ってお休みください」と伝えたが、梅宮さんは「ポリープができやすい体質で、もう慣れっこだよ」と再び笑い飛ばした。

 またある時は、インターホン越しに本人が答えたのだが、「テレビだから顔を出してください」と言うと、本当に出てきた。その手にはカップ麺があった。「食べ始めたところなんだよ」と言うので、食べてからでいいので待つと伝えたが、「いやあ、いいよ」とカップ麺をすすりながら話をしてくれた。ザックバランで、いつも堂々と逃げない。すごい人だった。

■自分のことより人のこと

 亡くなった松方弘樹さんとは兄弟のような関係だった。3年ほど前、松方さんが長く入院していた時、自らも闘病中であったにもかかわらず、40年愛用していた弁当箱に早朝4時から作った料理を詰め込んで病院に見舞いに行っていた。40年間、現役でがんばっている弁当箱。そこに“おまえさんもがんばれ”というメッセージを込め、「たくさん食べてくれ」と言っていたそうだ。

 この兄弟は釣り番組の海外ロケに何度も一緒に行っていて、梅宮さんの手料理を食べて仕事を乗り切っていた松方さんには、何よりのお見舞いだった。自分のことより、人のことを心配する梅宮さんだった。

(城下尊之/芸能ジャーナリスト)