宮川花子が多発性骨髄腫を公表「大助を見送るまで絶対生きる」

今年6月より体調不良で休養していた宮川花子が本日12月11日、仕事復帰に関する会見を夫・大助と共に大阪府内で開いた。

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会見の冒頭、花子は多発性骨髄腫の治療のために今年6月より入院していたことを明かし、その経過や近況を報告。「復帰の目処はまだ立ってません。退院の日にちも決まってません」としながらも、一時の危険な状態からは回復したと話し、大助も「今は復帰に向けてのリハビリで、ベッドから立ち上がったり座ったり、日に日によくなってる」と笑顔を見せた。

本日まで病名を公表しなかったのは、花子の「漫才師として、みんなが笑えない(深刻な)状況のときに言いたくない」というプロ根性によるものだったという。彼女は「毎日大助くんがカーテンを開けるたびに『生きとかなあかん』と思った。夜が来るのが怖かった」と病室での生活を振り返りつつ、「大助を見送るまで絶対生きておこう。それが嫁としてできる最後の愛情」と生き続けることの尊さを強調した。

花子に懸命に寄り添っていた大助は「嫁はんがここに戻ってくることは願っていたし、信じていた」「僕、嫁はんが好きなんですよ。好きで一緒になったんで今回、さらに好きになりました」とコメント。さらに「病気と闘っている人たちには立ち直るチャンスがあるというメッセージを発信し続けていきたい。それが大助・花子のこれからのショータイムになると思います」と語る。花子は復帰のタイミングを「車椅子に自分で乗れるようになったら」とし、「今後も絶対くじけずやりたいと思います、とりあえず今日来られたことが第一段階」「慌てず焦らず諦めず」と力強く述べた。