新潟でNGT48を接客していた百貨店員が、22歳で上京しアイドルになるまで<奥村優希>

引用元:テレ朝POST
新潟でNGT48を接客していた百貨店員が、22歳で上京しアイドルになるまで<奥村優希>

秋元康プロデュースによる、『ラストアイドル』(テレビ朝日系、2017年8月に放送開始)で活動を開始したアイドルのひとり、ラストアイドル2期生アンダーの奥村優希(おくむら・ゆうき)。

彼女は、アイドルになるまで小中高と青春時代をバスケットボールに捧げ、高校はスポーツ推薦で進学したほどのスポーツ少女だった。

高校卒業後は、地元・新潟の百貨店に就職し、数年間売り場に立っていたが、ときどき買い物に訪れるアイドルを接客するうちに、アイドルへの興味が湧いてきたのだった。

彼女はなぜ、アイドルを目指したのか。

アイドルになって、望んでいたものを得ることはできたのかーー。『ラストアイドル』に賭けた少女たちの、ビフォーアフターに迫る。 新潟でNGT48を接客していた百貨店員が、22歳で上京しアイドルになるまで<奥村優希> 当時中学3年生。バスケ一色の生活を送る

バスケ推薦で高校進学するも、二度の怪我で絶望的に

1995年10月、新潟県で生まれた奥村優希。

小さい頃は外で遊ぶのが大好きで、雪が降る日にも、常に外遊びをしていたという。

「ローラースケート、一輪車、鬼ごっこ。新潟はけっこう雪が降るんですけど、そんなの関係なく、いつも外で遊んでましたね。新潟は色白が多いと印象があるかもしれませんが、私はずっと色黒でした」

常に体を動かしていたこともあって、運動神経は抜群。運動会では常にリレーの選手として大活躍。小学校4年生でバスケットボールを始めてからは、その面白さにのめりこみ、ほぼ毎日バスケ漬けの生活が始まった。

「小学校のときはたまに日曜が休みだったけど、中学からは毎日練習してましたね。中学では県ベスト8になって、高校はスポーツ推薦で入学できたんです。ただ、中学からは勉強がすっごく苦手だったので、これ以上勉強したくないと思って、推薦に逃げたっていう理由もあります。実際、高校ではクラスで下から3番目になっちゃったこともあります(笑)」

スポーツ推薦でバスケの強豪校へ入学。高校ではさらなる飛躍を願うも、1年目の秋に彼女を悲劇が襲った。

「3年生が引退して、自分が試合に出るメンバーに固定された直後に、練習試合で大きな怪我をしてしまったんです。ドリブルでゴール下にカットインしたときに、相手の選手と接触して、立ち上がれなくて。捻挫だろうと思って病院に行ったら、『前十字靭帯が切れてるかもしれない』って言われちゃったんです」

その時点では、手術はせずにリハビリをするという方針に落ち着いた。しかし、その3ヶ月後、ようやく復帰できると思った矢先に、さらなる事故が起こってしまう。

「リハビリを頑張って3ヶ月後、ようやくみんなに混ざって練習を始めたんですけど…。その日にまた同じ場所を怪我してしまったんです。その後も何回か同じ場所を痛めてしまったので、結局手術することになって。復帰できたのは、1年後。その頃には、周りと比べて大きな差がついてしまっていましたね」