「夜霧よ今夜も有難う」は石原裕次郎を窮地から救った【あのヒット曲 意外な誕生秘話】

「夜霧よ今夜も有難う」は石原裕次郎を窮地から救った【あのヒット曲 意外な誕生秘話】

【あのヒット曲 意外な誕生秘話】

 石原裕次郎は、NHKの紅白歌合戦には歌手として出場していない。

「嵐を呼ぶ男」「俺は待ってるぜ」「赤いハンカチ」「銀座の恋の物語」、そして「夜霧よ今夜も有難う」など数多くのヒット曲を飛ばしながら、「歌は素人だから」というのが理由だ。その矜持を通した男だった。

 裕次郎の代表曲の一つである「夜霧よ今夜も有難う」を作詞・作曲した浜口庫之助は生前、私に「裕ちゃんは歌はうまくない。が、おいしい歌を歌える人ですよ」と語っていた。

 自称“素人歌手”は、ホロ酔い気分でないとテレビでは歌えないと、ビールを飲んで臨んだとの逸話もあった。それが「おいしい歌」になっていたのかもしれない。

■巨額納税が迫り大ヒット曲が欲しかった

 さて、代表曲である「夜霧よ今夜も有難う」の秘話である。この歌は、浜口がじかに作詞・作曲を依頼され、二つ返事で引き受けて誕生したものである。

 昭和42年、裕次郎が33歳のころ、山梨県のゴルフ場でたまたま浜口と一緒になり、プレー後、話す機会があった。

 当時、浜口は「愛して愛して愛しちゃったのよ」「星のフラメンコ」「バラが咲いた」などのヒットメーカー。裕次郎は「先生、いい曲を書いてくれませんか。お願いします」と直接、頼み込んだ。

 実は当時の裕次郎、ガッポリ稼いではいたが、税金もケタはずれで、納税のために大ヒット曲が欲しいときだった。

 浜口は「そりゃあ大変だな」と、裕次郎の頼みを快く引き受け、しばらくして2曲をこしらえた。それが「夜霧よ今夜も有難う」と「粋な別れ」である。テイチクの新橋スタジオに裕次郎を呼んで、ピアノで曲を聞かせた。裕次郎はすごく喜び、目に涙をためていたという。
♪しのび会う恋を つつむ夜霧よ――で始まるこの名曲。浜口は、裏町の飲み屋を舞台に、レインコートの襟を立てて登場する裕次郎を演出した。果たして、狙い通り、歌は大ヒット。

 裕次郎は、この新曲をひっさげて、その年、全国24カ所で行った「日本縦断リサイタル」を大成功させた。メインで歌ったのが「夜霧よ今夜も有難う」だった。延べ動員観客は10万人を数えた。

 こうして、ガッポリ払わなければならない税金も、リサイタルなどの成功でクリアできたわけだ。その意味で、裕次郎の窮地を救った一曲でもある。まさに“おいしい歌”なのであった。

(塩澤実信/ノンフィクション作家)