主演ドラマ『飛び出せ!青春』(日本テレビ系)の熱血教師役で一躍スターになり、多くのドラマ、映画、バラエティー番組に出演し、料理上手でグルメとしても知られる村野武範さん。
70代を迎えた現在も俳優業を中心に歌謡番組のMC、講演、CD『ハマナス』のリリースなど幅広いジャンルで精力的に活動中だが、今から5年前、2015年にはステージ4のがんを告げられ、死を覚悟したこともあったという。 『くいしん坊!万才』にも出演した村野さん。料理に目覚めたきっかけを明かす。
◆料理に目覚めたのは釣りがきっかけドラマの主演で俳優デビューを飾って以降、多くのテレビ、映画に出演し、さまざまな役柄を演じてきた村野さん。料理本も2冊出版するほど料理上手としても知られているが、料理に目覚めたのは釣りがきっかけだったという。
「『天下堂々』(NHK)ではニヒルな役だったし、『日本沈没』(TBS系)もちょっと暗い役でね。イメージがついちゃったみたいで、役が限られてきて、同じような役ばかりが多くなったの。そのうち30代半ばくらいから仕事がなくなってきちゃった」
-それでどうされたのですか-
「そのときにたまたま趣味ができたんですよ。ミニ盆栽とか、釣りとか、ゴルフとかね。
それで釣りをやり始めて、磯釣りにハマったのよ。ある日、釣った魚がデカくて、ちょっと女房の手に負えないって言うから、自分でさばくようになったんですよ。
それで、さばくついでに料理もやってみようかって思って、色々見たり聞いたりしてやってみたら、私が作った料理を女房や子どもが『おいしい』って言ったわけ。
『お父さん才能があるんじゃない?』なんて言われてね。そうすると私はバカだから、『そうかい?』なんて言ってね(笑)。それで料理を色々やり始めたの。
そうしたら、『こんにちは2時』(テレビ朝日系)という情報番組で、『村野武範のおしかけ料理』というコーナーをやることになって、それは本にもなったんだよね」
-『くいしん坊!万才』(フジテレビ系)は、そのあとですか?-
「そう。『村野武範のおしかけ料理』で作るほうが先なんですよ。それで、ただ作るだけじゃ面白くないから、料理のタイトルを『メンタンピン三色ドラドラ』とか『生イキタラちゃんイクラちゃん』とか『内じゃまだへらしとクールライス』とかね、色々変わった名前を付けて毎週やっていたわけ。
その後に『くいしん坊!万才』の話が来たの。そっちが先だと思っている人がいるみたいだけど、それは、くいしん坊のほうが全国ネットだったからね。
だから『くいしん坊!万才』の方が有名になっちゃったんだけど、もともと料理のジャンルに入ったのはテレ朝なの」
-『こんにちは2時』はどのくらいの期間、やられていました?-
「2年ぐらいやっていたかな?毎回毎回料理のタイトルを考えるのが、めんどくさいのよ。
うまくいくと楽しいんだけど、なかには合わないのもあるんですよ。『スミーカーブルース』というのを作ったときには、どうしてもうまくないんだよね。あれはどうしてもダメだった(笑)。
そういうくだらないことが昔から好きでね。私は真面目なのはダメだから」
-『くいしん坊!万才』の後、ご自分でお店もやられて-
「お店は、仲間が一緒にやろうって言ったからね。一応グルメだからさ(笑)。今はもう閉めましたけど、『ぐるめダイニング むらの』って名付けて赤坂でやっていました」
-いろいろやられてすごいですね-
「すごくはないよ。器用貧乏ってことだね。ろくなもんじゃないよ(笑)」
村野武範、一時は死を覚悟。妻の“ある行動”のおかげで、末期がんから生還「諦めずに色々…」
引用元:テレ朝POST