木村拓哉 ダース・ベイダーのモノマネを披露!? 及川光博「僕を元気づけようとして…」

引用元:TOKYO FM+
木村拓哉 ダース・ベイダーのモノマネを披露!? 及川光博「僕を元気づけようとして…」

木村拓哉が親交のあるゲストを迎え、人生をしなやかに生きていく様や、ゲストの秘めた魅力や強さに迫るTOKYO FMの番組「木村拓哉 Flow supported by GYAO!」。3月のゲストには、歌手で俳優の“ミッチー”こと及川光博さんが登場。3月8日(日)の放送では、及川さんの少年時代や音楽のルーツに迫りました。

◆及川「キザなキッズだった」

東京都出身の及川さんは、1969年10月24日生まれの50歳。さそり座のB型です。自身の少年時代について、「キザなキッズだった。これ、ネタじゃないんだけど、小中学校のときのあだ名が、『キザオ』。クラスでそう言われていた」と及川さん。その理由について「キザだったんだろうね。キャッキャ、キャッキャと女子と仲良くしていたし、小学6年のときに生徒会長をやっていたから。とにかく半ばいじめだよね、キザオってあだ名はね。藤子不二雄の世界みたいな」と明るく笑い飛ばします。

小学校高学年のときには進学塾に通い、全国模試で1位になったこともあるそうで、木村が「今まではちょっと嫌味で『キザオ』って言っていたかもしれないけど、実際にそんな結果を出されたら、リスペクトを込めた『キザオ』になるよね?」と尋ねると、及川さんは「いじめられていた感じから、だんだんとキャラクターとして認められたというか」と振り返ります。

当時の偏差値は81だったそうで、これには木村も「マジで!?」とビックリ。見事受験に合格し、私立中学に進学したものの「バンドを始めて、勉強しなくなって成績は下がっていったんだけどね(苦笑)」と話します。

◆人生を変えた、プリンスの存在

中学生のときに影響を受けた音楽について、及川さんは「当時、80年代半ばはハードロックが流行っていて。EARTHSHAKERとか44MAGNUMとかジャパン・メタルというジャンルがあったの。BOOWYやTHE BLUE HEARTSが流行る前は、ハードロックが流行っていたんだよね」と饒舌に語り始めます。

さらには「吉川晃司さんとかもよく聴いていたけど、やっぱり憧れはマイケル・ジャクソン。そして何よりもプリンス! プリンスが出てきて、人生が変わっちゃったな。マイケルは当然ながらダンスはカッコイイし」と音楽トークは止まりません。

一方、木村もマイケル・ジャクソンが大好きだったそうで「それこそミュージック・ビデオを楽しみに観ていた。マイケルの振付、彼がどう動いているかを何回も巻き戻し、一時停止、再生、一時停止ってVHSでチェックしていましたね」と懐かしげに話します。