歌舞伎とは違う「太神楽は努力が報われる仕事なんです」

歌舞伎とは違う「太神楽は努力が報われる仕事なんです」

【太神楽 鏡味仙三郎 大いに語る】#8

 国が太神楽師を養成する制度があることは一般には知られていない。正式名称は「日本芸術文化振興会 国立劇場太神楽研修」。1995年秋から志望者を募集した。仙三郎は講師のひとりとして加わった。

「1期生は20人の応募者の中から10人選抜して、さらに3カ月後に適性検査で5人に絞りました。研修生には国から月に10万円の奨学金が支給されますが、3年間の研修修了後、最低2年は太神楽師をやらないと半額の180万円を返還しなきゃならない。税金を使わせてもらっているわけだから当然ですが」

 太神楽師養成に援助するとは、国も粋な計らいをするものだ。

「研修が始まって困ったのは、一門によって流儀が違うことです。撥の投げ方ひとつでも教え方が違うので、研修生が混乱しちゃう。そこで手書きの教科書を作って統一させました。

 この研修のいいところは、2年目に副科として長唄、三味線、日本舞踊の授業があることです。それも講師陣は皆さん一流の大家ばかり。初心者に教えるんですから我々太神楽師以上に大変だったでしょう。3年目には獅子舞と江戸太神楽祭り囃子の授業があって、すべてマスターすると修了ということになります。卒業生5人のうち4人は現役の太神楽師です。昨今、若手ナンバーワンといわれる翁家和助君もそのひとりです」

 狭き門ともいえる。

「2期生で卒業できたのは1人だけ。それが弟子の仙三です。卒業生には自分で師匠を選べる特権が与えられる。ハードルが高い芸ですから、弟子入りしてから高座に上がるまで時間がかかります。まず1年間、寄席の楽屋で前座修業をする。研修生時代も含めて自分との闘いですね。それに打ち勝って太神楽師になれば、努力したことが報われる仕事なんです」

 研修制度は7期続けられ、20人の太神楽師を輩出した。その後、やめた者もいて、12人が現役で活躍している。

「この制度はしばらく休んでましたが、来年から再開する予定でして、あたしもまた後継者育成のお手伝いをするつもりでいます。芸界は歌舞伎の世界と違って、閨閥がないので公平ですよね。研修生募集が再開されたら、多くの若者が応募してくればいいと期待してます」

 目を輝かせて語る仙三郎が若々しく見えた。 =つづく

(聞き手・吉川潮)

▽鏡味仙三郎(かがみ・せんざぶろう)1946年、岩手県盛岡市出身。55年に12代目家元・鏡味小仙に入門。前座名「盛之助」。57年、池袋演芸場で初舞台。73年に故・鏡味仙之助とコンビ結成。2002年、鏡味仙三郎社中を結成。趣味はゴルフとオートレース。近著に「太神楽 寄席とともに歩む日本の芸能の原点」(原書房)がある。