■福島原発所員の命懸けの闘いを描いた 映画「Fukushima 50」出演
「『考えるな、反応しろ』。演技で迷ったら、これを思い出し実践してきた。この言葉に助けられ、57年間ずっと俳優を続けることができたんだと思いますね」
自由に生きた放浪の作家で詩人、米国のチャールズ・ブコウスキーの言葉を挙げて、自らの俳優人生を振り返る。
最新の出演作は、東日本大震災による大津波で大惨事となった福島原発事故を壮大なスケールで描いた映画「Fukushima 50」(3月6日公開)だ。
2011年3月11日。福島第一原発を地震で発生した津波が襲い、発電機が水没し停止。吉田所長(渡辺謙)たち所員は、電源を失った原発施設に踏みとどまり、命懸けの復旧作業に挑む…。
◆壮絶な撮影現場
高濃度の放射線を浴びることを覚悟し、“斬り込み隊長”として施設に突入するベテラン所員、大森の役を熱演する。
「原発施設を再現したセットの中で約3週間撮影が続きました。マスクをつけたままボンベを背負い、何度も走りました。暑いし息苦しいし…。壮絶な撮影現場でしたね」
撮影の間、無精ひげは生やしたまま。疲労困憊した表情は鬼気迫る。「だって演技じゃなくて本当に疲れていたんですから」と笑った。
NHK大河ドラマ「国盗り物語」で、通称“サル”と呼ばれた羽柴秀吉を演じ、一躍人気俳優となる。
「このドラマで初めて火野正平の芸名を名乗ったんですよ」
名付け親は作家の池波正太郎。「正」の文字は正太郎に由来する。
やんちゃな少年のような甘いマスクに大勢の女性ファンが熱狂した。
気取らない性格に俳優たちからの信頼も厚い。
今作では佐藤浩市と共演。佐藤が演じる現場の当直長、伊崎との会話のセリフは事故当時の記録から再現されている。
「俺がまず現場へ行く」という伊崎に大森が言う。
「自分が行く。君はここにいなきゃだめだよ」
デビュー間もない佐藤と映画「青春の門」で共演以来、約40年、「コウちゃん」と呼んでかわいがってきた。
「久々の共演は楽しかったですね」
劇中の先輩後輩という役柄の関係が、そのまま俳優2人の深い信頼関係と重なってみえた。
◆端役でも出たい
この映画が製作されると聞いたときから、「地元住民役など、ほんの端役でいいから出演したい」と思っていたという。
11年から、自転車で日本各地を回る紀行番組「にっぽん縦断 こころ旅」(NHKBSプレミアム)に出演。約10年にわたり47都道府県を自転車で走り続けてきた。
阪神大震災、北海道南西沖地震などの被害から復興した被災地などを自転車で走っていると、「日本人は本当に強いなあ」と実感するという。
ただ、「福島は復興を遂げてはいませんね」。
■今度は自分が福島の人たちを少しでも励ましたい
震災翌年、福島を訪れ、自転車で走っていると「『正平さん、頑張って!』と沿道のあちこちから僕を励ましてくれる声が聞こえるんですよ」。
今度は自分が福島の人たちを少しでも励ますことができたら…。ボンベをかついで走る大森の背中からそんなメッセージが伝わってくる。
「にっぽん縦断 こころ旅」の中で、「人生下り坂、最高!」という言葉が定着したが、これは「偶然、口走ってしまった言葉なんです」と明かす。
◆今年の目標は歌
年齢とともに老け役が増えてきたが、俳優としての意欲は十分。13年にはトミー・リー・ジョーンズ出演のハリウッド大作「終戦のエンペラー」。17年には中国の巨匠、チェン・カイコー監督の「空海-KU-KAI-美しき王妃の謎」など海外大作などへ精力的に挑み続けている。
「今年の目標? 昨年末、久々に奄美大島でライブを開きました。歌は大好きなので今年は歌に本格的に取り組めれば」
歌手と俳優。まだペダルは全力で踏み続ける。“下り坂最高”の気分で。(ペン・波多野康雅/カメラ・渡辺恭晃)
■火野正平(ひの・しょうへい) 1949年5月30日生まれ。70歳。東京都出身。62年、ドラマ「少年探偵団」(フジ系)で、本名の二瓶康一で子役としてデビュー。73年、芸名を火野正平に変え、NHK大河ドラマ「国盗り物語」に羽柴秀吉役で出演。77年、「新・必殺仕置人」など時代劇シリーズなどでも活躍。映画初出演は74年の「俺の血は他人の血」で初主演も務めた。近作は「空海-KU-KAI-美しき王妃の謎」(2017年)など。
「考えるな、反応しろ」俳優・火野正平、全力で踏み込むペダル 福島原発所員の闘い描いた「Fukushima 50」に出演
引用元:夕刊フジ