寒い夜、2度も取材対応してくれたノムさんの温かさ

引用元:スポーツ報知
寒い夜、2度も取材対応してくれたノムさんの温かさ

 11日に名将・野村克也さん(享年84)が亡くなった。周囲からはノムさんの人柄を表すエピソードが後を絶たない。記者は野球担当を経験したことはないが、その一端をのぞき見たことがある。

 2017年12月。都内に吹雪が襲った夜、妻の沙知代さんが亡くなった。芸能人という訳ではないがタレントということなのか、上司から玉川田園調布の自宅に張り込み、野村さんの帰宅を待つことになった。だが、いざ到着し待機中に別の記事を書こうと思ったら、携帯とパソコンが電池切れなのか動かない。カメラマンにその旨を告げ喫茶店で充電しながら原稿を書いて戻ると、なんとその間に野村さんは帰宅し取材対応をしてしまったらしい。

 カメラマンや周囲に聞いて話した内容は把握できたが、何とも残念な気持ちでいた。するとどうやら野村さんが懇意にしていたあるテレビ局も、タクシーのトラブルでその瞬間を逃したらしい。午後10時を過ぎていたと思うが、再度の取材対応をお願いしている様子だった。

 最愛の妻を亡くし、心を痛めているであろう時。私は過去、何度か夫や妻を亡くした著名人の自宅に張り込んだが、そもそも我々の前に出てくることが珍しい。姿を見せてもノーコメントがほとんど。さらに野村さんは一度対応しているのだ。そして時間も夜分。私もどさくさに紛れ、固唾を飲んで見守ったが、おそらく無理だろうというのは容易に予想できた。

 従来の野村さんのイメージは厳しい毒舌家だった。われわれ新聞やテレビも、どうしても面白い発言や行動を切り取って報じる。私も勝手に怖い性格を想像していた。そもそも話を聞き逃しているのは完全にこちらのミス。万が一出てきてくれても叱られるのではあるまいか…とさえ思った。

 だが、日付が変わるか変わらないかの時間。野村さんは再び現れたのだ。寝間着姿で髪もぼさぼさ、ひげも伸びたまま。寝ていたのか泣きはらした後だったのか…。なのに嫌な顔一つせずに同じ話を繰り返してくれたのだった。

 そして話が終わった後、つぶやいた一言が優しかった。「皆さんこんなに遅くまで残ってくれてありがとうございます。サッチーも喜んでいるでしょう」と妻の代わりにお礼。そしてまだ20人近くいた報道陣を見渡すと「俺が死んだらこの倍くらいか。その時は克則を囲んでやって下さい」。思わずクスッとなってしまったが、なぜかジーンときた。

 あれだけメディアに登場し、知らない人は中々いないだろうノムさん。ぼやきや嫌みな発言ばかりが面白がられていたが、近くで見るととても温かい方だった。ゆかりある人の話すエピソードのほとんどがいい話なのがその証明だと思う。(記者コラム) 報知新聞社