吉岡里帆が訊く、音楽家・haruka nakamuraのシンプルな暮らし

引用元:J-WAVE NEWS
吉岡里帆が訊く、音楽家・haruka nakamuraのシンプルな暮らし

J-WAVEで放送中の番組『UR LIFESTYLE COLLEGE』(ナビゲーター:吉岡里帆)。2月2日(日)のオンエアでは、音楽家・haruka nakamuraがゲストに登場。プライベートやライフスタイルについてトークを展開した。

青森の夕暮れに合うメロディーは…音楽が生まれるきっかけ

nakamuraは、CM、WEB、TV番組の音楽など数多くの楽曲を制作する音楽家。他アーティストとの関わりも深く、プロデュース業やリミックスなど、幅広く活動を重ねている。吉岡はYouTubeを閲覧している際に偶然、nakamuraの曲を知って好きになったという。

nakamuraは、どのような幼少期を過ごしてきたのか。

吉岡:ご出身は青森県なんですね。子どもの頃はどんな少年でしたか?
nakamura:僕の故郷は、すごく田舎で。海と山しかありませんでした。冬は授業が全部スキーになるから、スキーで学校に行っていたりしました。両親は共働きだったので、ほとんど1人で過ごしていて。冬は雪が積もった野原で寝転んだり、雪だるまを作ったり、自然と近い暮らしをしていました。
吉岡:harukaさんの作る音楽は、青森県の景色が原点だと伺いました。当時、どんなふうに見えていたのでしょうか。
nakamura:その頃から、ひとりで過ごす時間が、自分の根本を作っていて。母親がピアノ講師を勤めていたっていうのもあるんですけど、音楽と自然と風景が、自分の生活のほとんどを占めていたように思います。音楽を作り出したのも、青森の夕暮れを見て「この景色に合うメロディーはどんなものだろう」と、思ったのがきっかけです。小さい頃の話なんですけど、そこから即興音楽を演奏するようになりました。

ピアノを習っていたが、母に「これをやりなさい」と言われると、どうにもやる気がなくなってしまう。そこでnakamuraは、アレンジをして弾き始めたのだとか。

16歳にして、ひとりで上京することを選ぶ。地元の高校に進学したが、「音楽をやっていくなら、出たほうがいいんじゃないか」と感じ、夏休みには辞めて東京に出たのだという。上京する日は深夜バスの乗り場に、多くの友人が見送りに来てくれた。

吉岡:アクティブさにびっくりしました。
nakamura:もう勢いで行くしかなくて。出ていくとき、中学時代の友人もみんな見送りに来てくれて。
吉岡:泣けますね。いいなあ……。
nakamura:「もう帰ってくるなよ~!」みたいな感じで(背中を押してくれて)。「もう帰れないんだ、行くしかない」って(笑)。 吉岡:あはは(笑)。意を決して上京されたんですね。