フォーマルのリテラシーを持つカジュアルな発信【世界音楽放浪記vol.84】

引用元:Billboard JAPAN
フォーマルのリテラシーを持つカジュアルな発信【世界音楽放浪記vol.84】

大学で映像制作を教え始めて、今年度で3年目となった。ジャーナリズムを教える大学は、少なくない。だが、私が教えているのは「フォーマルのリテラシーを持つカジュアルな発信」だ。かつて映像を制作し、発信するためには、高価な機材と熟練した技能が必要であり、メディアも限られていた。21世紀に入り急速に進化したSNSや録画機材は、映像制作を容易にし、ダイレクトに全世界へ伝わる媒体となった。

「放送」と「通信」は、正反対の出自だ。放送は英語で「broadcast」、つまり「広く、放り投げる」ことを意味する。これに対し、通信は「communications」、人と人とが交流し、意思の疎通を図ることが原義だ。個人での発信は、通信の一手段である。映像作品のチェックは、自分自身で行うしかない。迂闊なことをすれば、簡単に炎上してしまう。だからこそ、最初に「日本放送協会番組基準」「国際番組基準」「放送ハンドブック」といった、放送の基本を学ぶ。放送というフォーマルのリテラシーを修得してこそ、カジュアルな発信を安心して行うことが出来るからだ。また、番組制作の「いろはのい」~発意、提案、取材、交渉、演出、構成、撮影、編集等~は、放送だろうと通信だろうと、変わることはない。

教室では、学生と議論しながら、常に新しい試みをするようにしている。2017年度の上智大学と関西大学での講義では、facebookの協力を得て、個人用PCでスイッチングを行うリアルタイム・ストリーミングにトライ。また現役のYouTuberをゲストに招き、彼らの作品を観ながら、語らい合った。2018年度の明治大学では、TikTokを意識した短尺映像を作ったり、「ビジュアル系」のアーティストとコラボして、全編英語でナレーションしたミニ番組も制作した。

明治大学の2019年度の講義では、スマホだけを用いて、約10分のミニ番組と30秒のCMを制作することとした。プロとなるなら、言うまでもなく、放送に出せるクオリティの番組を作ることは、必須の要件だ。だが、学生たちには、プロのマネをするな、自分たちの力で作れるものを制作するようにと何度も伝えた。プロになりたいのなら、その道に進めば徹底的に教え込まれる。この授業は、プロを養成するカリキュラムではない。自分たちの力で、あらゆる場からリポートしたり、ミニ番組を作ったりする力を養うことが目的だ。それは、「1人1メディア」の現在、スマホとwi-fiがあれば、世界のどこでも実行可能だ。

そのためには、自分がどんな役割を果たすことが出来るか、何に向いているかなどを知るためにも、チームで考え、行動することが大切だ。実際、出演する側が向いている者もいれば、スタッフ側で力を発揮する者もいる。半期が終わる頃には、学生は編集ソフトを使いこなす学生も、何人か現れた。私は、必要な部分は伝えつつ、教えすぎないことをモットーとした。

ミニ番組は、「なかなか知らない中野のなか」というタイトルを、学生たちが名付けた。完成まで、アドバイスすることはあれ、彼らの代わりに作業はしなかった。もちろん、プロの目から見れば、いろいろと甘いところはある。だが、学生たちが「0」から番組を作り上げるプロセスで考え、悩み、完成に到達したことは、きっと後で糧になるに違いない。ドキュメンタリー制作や、立派なスタジオで収録をしたりする授業にも、当然ながら、大きな意味がある。コンクールに応募することも重要だろう。しかし、手元にあるツールで、日常の中にある事象を映像で表現することも、教育的には大切だと考える。来年度、学生たちと共に、どんな映像作品が作り上げられるのか、いまから楽しみでならない。Text:原田悦志

「なかなか知らない中野のなか」(明治大学国際日本学部ホームページより)

◎原田悦志:NHK放送総局ラジオセンター チーフ・ディレクター、明治大学講師、慶大アートセンター訪問研究員。2018年5月まで日本の音楽を世界に伝える『J-MELO』(NHKワールドJAPAN)のプロデューサーを務めるなど、多数の音楽番組の制作に携わるかたわら、国内外で行われているイベントやフェスを通じ、多種多様な音楽に触れる機会多数。現在は「イチ押し 歌のパラダイス」「ミュージック・バズ」「歌え!土曜日Love Hits」(NHKラジオ第一)などを担当。