サインボールをめぐる森繁久彌先生陣営との怒涛の攻防戦【ダンカンの笑撃回顧録】

サインボールをめぐる森繁久彌先生陣営との怒涛の攻防戦【ダンカンの笑撃回顧録】

【ダンカンの笑撃回顧録】#27

 クルクル~カラン!! 「すみません、先生、この野球のボールにサイン書いてもらっていいですかァ!?」「おっ……ホウ(手渡されたボールをゆっくりと回しながらなめるように見ると)ボールにサイン……ウム、初めてだなあ……」「先生おやめください!!」「ボールになんていけませーん!!」「サインならこちら色紙に毛筆もご用意しておりますし!!」

 この風景、忘れもしない緑山スタジオの楽屋での出来事……。ボールを手に今まさにペンでサインを書こうとなさっているお方は日本芸能史に燦然と輝く森繁久弥先生であり、それを必死に制止しようとしているのは先生のマネジャーさんでありお付きの人であり、ボウヤ(身の回りのお世話をする弟子のような存在)であり、そして、森繁先生に悪びれることなくサインをねだっている者こそ紛れもないこの俺であるのだ。

 ということは、今回の舞台は1995年、テレビ東京が96年1月1日に放送したお正月特番の2時間半ドラマ、森繁先生が小説家・幸田露伴を演じた「小石川の家」の収録の時のことなのだ。

 少年時代より大の野球ファンであった俺はあの当時すでに、ボールに野球選手のサインをもらうことに飽きていたのだと思う。そこでなぜかは忘れたが、野球選手以外の方のサインボールを集めよう!! と急に思いついたのだった(と思う)。で、どーせ書いてもらうなら友人、知人に見せた時に「えーっ!! なんでこの人のサインボール??? てか、ホントに書いてもらったんだー!?」とその驚く顔がただただ見たかったのである。となれば、当然、超大物有名人しかあるまい!! となり、その最初のターゲットが森繁先生ということになったのである(ね、申し分ないでしょう!?)。

 ところが、いざサインをもらおうとしたその時、思いもよらぬ反撃(?)を受けるとは予想もしていなかったのだ……。それは、先生を取り巻く大人たちの森繁軍団であったのだ。自分たちというものがお付きしていながらやすやすと、わが先生がB級芸能人のダンカンなんぞにのせられ、野球のボールにサインなど書かせたとあっては一生の不覚、いや一生どころかサインボールは永久に残っていくかもしれないので、そーなると末代までもの笑いの種にならないとも限らないと、怒涛の防戦を繰り出してきたのだった。

 しかし、森繁先生は器が大きかったねェ! そんな周囲の雑音を断ち切るかのごとく、背筋を凜と正すと右手に握ったペン先にまるで自らの魂を込めているかのようにスラスラ~、「これでいいかねェ」とかすかにほほ笑み、渡してくださったボールには「八十二歳にして幸田露伴を演ずる 森繁久弥」と達筆な文字が言葉と裏腹に若々しく躍っていたのだった。

 余談だけど、森繁先生の書生をやらせていただいたこのドラマは96年の日本民間放送連盟賞テレビドラマ部門の最優秀賞に輝いたのだった。貴重なサインボールに鑑定団来ね~かなあ!? =つづく

(ダンカン/お笑いタレント・俳優・放送作家・脚本家)