ウテナ、ガンバ、カリ城…アニメ美術のレジェンド・小林七郎が伝える“絵の本質” 「カメラのレンズじゃない、心の眼で描け!」【インタビュー】

ウテナ、ガンバ、カリ城…アニメ美術のレジェンド・小林七郎が伝える“絵の本質” 「カメラのレンズじゃない、心の眼で描け!」【インタビュー】

『ガンバの冒険』『ルパン三世 カリオストロの城』『少女革命ウテナ』『のだめカンタービレ』など、数々のアニメ作品の背景美術を手がけ、独自の世界を創り上げてきた小林七郎氏。

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光と陰のコントラスト、凜とした空気。宮崎駿、出崎統、押井守、幾原邦彦など名だたる監督が小林氏の美術に惚れ込んだ。また氏が経営する小林プロダクションは、男鹿和雄氏(『となりのトトロ』『この世界の片隅に』)など優れた美術監督も多数輩出している。

まさに日本のアニメ美術のパイオニアである小林氏に、出版された書籍「アニメ美術から学ぶ《絵の心》」(玄光社)をベースにお話をうかがった。
[取材・構成=渡辺由美子]

■荒さや激しさを歓迎した出崎統監督
――小林七郎さんの美術は、現在も多くの観客を魅了し、後年のクリエイターにも大きな影響を与えています。アニメの背景美術を手がけることになった経緯をお聞かせ下さい。

小林:アニメの仕事を長くできたのは、私の作風や特徴を活かす出会いが大きかったと思います。最初は東映動画に入社したんだけど、残念ながらカラーが合いませんでした。
自分とはやり方が違うな、長くは関われないだろうなと思っていた時に、たまたま『巨人の星』が始まって、Aプロダクションで新しい体制が求められたときには、まずそこへ飛び込むと。そこで良い出会いがあったんですね。

――当時、ご自身のカラーをどのように認識していらっしゃいましたか。

小林:私は個人で作るような、“絵本”の世界のような作品がやりたかったんです。
アニメでも「絵は作品ごとに違って当たり前だ」という思いがありました。けれども、アニメには「枚数を重ねる」という宿命があり、量産を目指す会社では、どの作品も同じやり方で作る方向にならざるを得ませんでした。
誰がやっても均一な絵に仕上げるというのは、私の目指すものではなかったんです。

――『巨人の星』が放送された1968年頃は、『鉄腕アトム』(63年)から始まったTVアニメがお茶の間で人気になり、アニメの本数も一気に増えた時期だったと思います。『巨人の星』の現場はどのようなものでしたか。

小林:作品ごとにユニークな世界観やスタイルを求めるという気風がありました。もちろんオリジナルな厳しさと向かい合うことになりましたが、みんなで、この作品はどんな世界でどんなスタイルにしようかというところから話し合い、まったくの新人も取り込んで社員として入れて、ゼロからたたき直すところからやっていました。結果的に人が育ったんです。

――個人の個性を発揮できる現場に出会ったわけですね。

小林:スタッフが持つ個性を特に歓迎したのが出崎統さんです。「誰も見たこともない映像を作ろう!」と意気投合して、かつてなかった手法をやろうと。出崎監督は私の表現を求めてくれて、冒険的な実験も許容してくれたんです。

――小林さんと言えば、出崎統監督とコンビを組んだ名作が数多くありますね。『ガンバの冒険』、『元祖天才バカボン』、『家なき子』、『宝島』、『劇場版 エースをねらえ!』『あしたのジョー2』……。出崎監督は、小林さんにどんな表現を求めていましたか。

小林:当時の私の作風は、やや未完成で荒っぽさがあるというものでした。出崎さんはまず、「激しさや荒さを大事にしろ」と。自分の気持ちを抑えて小手先の丁寧さで描いて安心するのではなくて、激しさでもって描き飛ばす。
そうすると、描き手としては、描いていない部分があることで不安が残るじゃないですか。でも、「不安な思いが出ていればそっちでいいんだ」と。

――おお! 出崎監督のディレクションは、不安な思いまで含めて表現であるということだったんですね。

小林:そう。私のやり方は、普通好かれないんですが、彼からノーと言われた記憶はないですね。
出崎さんやスタッフには、それぞれの個性と世界観を引き出してお互い共有しようという目線があり、皆がそれぞれに新しい実験なり発見なりをして作品に反映しようとする。作品を通した競争と認め合いの両方がありました。

――たとえば、『ガンバの冒険』は、どのような方針で制作されましたか。

小林:ガンバというネズミの、「小動物から見た世界」は、人間の見た目と彼らの見た世界は違うはずだと。ネズミから見たら全てが荒々しくて、激しくて、巨大で、そして怖れと驚きの対象であるはずだ……と。ネズミの気持ちになろうとするわけですよ(笑)。

――ノロイも、ネズミから見た怖さを描かれたんですね。

小林:そうですね。この絵は、キャラクターデザインの椛島義夫さんの原画を私なりにアレンジしました。
たとえばノロイの目を曲線から直線にして恐怖を増したりもしています。ネズミの目から見たらイタチのノロイは、巨大で強烈な存在感がある。

自然もそうです。岩いっぺんでも巨大な塊に見える。絵としては、ザラザラとした質感の激しさを意識しました。

――『あしたのジョー2』の光が当たったリングと暗い客席も陰影が印象的ですね。

小林:光をリングに集中することで、リングに立つボクサーの孤独感が出ます。光と陰、そこに詩的なイメージがある。
省略とか強調が当然のこととして行われるんです。省略するということは、描かなかったところ、行間に意味があるんです。

出崎さんは、「間接表現」とよく言っています。説明的な描写や表現ではなくて、何かの状況を介して、目の前にはない世界を想定させるんです。
たとえば『エースをねらえ!』では、ひろみと宗方が電話で話す場面がありますが、チリンチリンと電話が鳴る。その電話の音だけで、観る側は相手を想像するんですよ。

彼は、観る側の印象が強くなるように、説明的な表現を避けて心を描くということをよくやりました。だから観る側は想像力を働かさざるを得ないんです。
一見わかりにくい映像もあったし、最終回も「え、どうなったの?」って疑問を残すような終わり方をよくやりましたね(笑)。安心できるような映像を作らない。面白い人ですよね。

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■『ウテナ』では現実を超えた世界を作った
――1968年には、背景美術制作会社・小林プロダクションを設立されています。社員の方はお弟子さんとも言えると思いますが、どんなことを教えてこられたのでしょうか。

小林:基本のデッサンができたうえで、表現の自由さを求める姿勢ですね。
自然の中にある現象でも、受け止めるのは個の感性。カメラとは違いますよね。写実的な捉え方はもちろん大事です。

だけども中心は、自分の主観にある。自分の中の自分の思い、自分の癖! しいて言えば個性ですけど、それを活かせと。描き手の個性と作品世界がマッチすることで、ひとつの世界観が生まれる。それが理想ですね。

――カメラではなく、自分の主観なのですね。

小林:見て、感じると言うことは、カメラとはまったく違うんじゃないですかね。目が捉えた視覚的な映像としてのカメラと、心で感じ取ったのは違うでしょう。
やっぱり人間は、驚きと怖さとか、生活感が反映して主観の目線でものを捉え、感じ取っているはずなんです。

――人間の主観を反映した背景と言えば、『少女革命ウテナ』も印象的でした。学園や決闘場など、現実にはあり得ない建物が多く出てきました。幾原邦彦監督とはどのようなディスカッションがありましたか。

小林:幾原さんは、自分の考え方をしっかり伝えてくる方で、この作品は、舞台とか演劇のような世界であり、そのような映像を作りたいと。私にも、現実をひとつ超えて、詩的な作られた世界を求めてくれました。

――実際にはない風景の着想の手がかりとなるモチーフはありましたか。

小林:モチーフも何もないですよ。みんなで、こうかな、ああかなと作っていって、幾原さんからオッケーをもらいながらやっていきました。
私も、幾原さんの言葉を通して私なりにイメージを持ち、「これでどうですか?」「あ、OK」です。だからみんなのアイディアの集合体ですよね。

たとえば、この門は長濱博史さんのデザインなんですよ。とてもいい出来でしたから、それをそっくりいただいて、私の方からは、壊れかけのようなディテールを加えるというやり方もしました。

それから、自分なりにこうかな、ああかなと考えたものでは、渦巻き状の階段。あれは私が作っています。

――ウテナと言えば、あの決闘場に向かう場面、あの渦巻き型の階段を!

小林:渦巻き型は幾原さんの要求だけど、どんな渦巻きにするかは任されたわけです。一番てっぺんのほうが天空まできているくらい高いんですね。重力的には持たないような構造でね(笑)。そういうシュールな条件でした。

――心の眼は、物理法則を超えるのですね。では、押井守監督の『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』ではどのような形でお仕事されましたか。

小林:押井さん。あの方は、はっきりおっしゃらないんです。演出上の思い切った設定や意図を出したら、あとは私におまかせです。

たとえば、温泉マークというキャラクターがいるカビだらけになった部屋は、思い切って私にやらせるわけですよ、カビだらけの!(笑)

――夢邪鬼によって永遠の日常が繰り返されるようになった世界で、あたるの担任、温泉マークの住む部屋は時が経ってカビだらけになってしまったというシーンですね。

小林:そう。それで私は調子に乗っちゃってね、絵の具を濡れている石に押しつけたり、吸い取ったり、はがしたりして、カビの表現のマチエルづくりをやりました。
それも押井さんの「カビだらけの部屋」っていう要求でしたから。彼は要求だけはして、あとはおまかせ。できたものに対しては、もう文句は言わなかった。

――おまかせのほうがやりやすいですか?

小林:そうですねぇー……責任を感じますねぇー。押井さんは、シナリオでも絵コンテでも、すべて要求はその中に入ってるんです。
その要求を汲み取るのはこちらの仕事です。相手の意図を探る、“読み合い”の世界なんですね。

■遠くまでクリアに、鮮烈に
――荒々しい激しさや光と陰のドラマを大事にされているということでしたが、ご自身の技法で意識されていることはありますか。

小林:どこかで意識しているもののひとつに、遠近の量でもって強弱を表現している、というのがありますね。たとえばこのロング(遠景)の絵。

――『ビューティフル・ドリーマー』の荒廃した友引町の全景ですね。強弱を量で表すというのは?

小林:遠くもぼかさずに、全部クリアに描く。けれども遠くの奥のほうは、量を少なくするんです。遠くのほうほど線がきれぎれになったり、省いたりとかして細部がだんだんと省略されていく。

そうして奥は量が少なくするんだけれども、手前と同じクリアな部分がちゃんとある。そうすると、遠くのものがカッと強く印象に残るっていう絵になるんです。

――遠くの方ほど面積が少ないから、そこだけスポットライトを浴びているようになるんですね!

小林:そうそう。量の多い少ないに置き換えて、強い弱いを出す。強いものは少ない、しかしそこに確かにある、という
もちろん手前がより強烈にという意識もなくはないですけど、奥の方もクリアで明確でありたい。遠くにはあるけれども荒廃した街並みが広がっているぞと。空と地面との大きな違いを出す、これは意識していますね。

――そこはカメラとは違うのですね。カメラで奥までクリアに撮影しても、奥の印象が強くはならない。遠くまでクリアというのは、人間の心の眼で見たときなんですね。

小林:そうです、そうです。それはオーバーに言えば詩的表現である。あることの強さとでも言いますか、ものがあることの確かさ。あいまいさは好ましくはないですね。遠くがかすみ、ボケるというのは、私は採用していないんです。

――こうした小林さんならではの画風はどのように生まれたかが気になります。

小林:それは自分ではわかりませんけれども。ただ、もやっとしたものじゃないクリアなものが好きですね。
たぶん北海道の寒村で生まれ育ったことも関係があると思います。自然の厳しさというのはごまかしようがない。痛さと似ているんです、寒さって。視覚じゃなくて触覚ですね。

明確な触覚性が自分の中に深く根付いていると思うんです。今は、「触覚性の喪失の時代」だとも思うんです。だからアニメでも、カメラみたいな映像が受け入れられるんです。

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■ものづくりは闘いだ
――小林さんの会社ではどのような形でスタッフとものづくりをされてきましたか。

小林:私は美術監督として、社員のスタッフに、この作品はこんな絵面にするよと大枠は決めてそれを伝えます。が、あとはお前ら好きにやれと。
そしてだいたいは彼らの描いたものを採用していくんです。

でも、採用する間の段階で、私なんかすぐに筆をとって横から割り込んで「もっとこうだ!」と彼らの目の前でね、わーっとやるわけですよ(笑)。口で言えずにやってみせるから。彼らはね、「くそ!」と思うし、そのことによって具体的な体験、生なやり方を受け取るわけです。

そういう現場主義でとことん若い奴らと闘いながらやってきました。ずっと繰り返しているうちに、いつの間にかスタッフが育っちゃった。そんな現場の状況が何十年か続きました。でも、そういうやり方はね、他の人はできなかったんです。

――ものづくりにおいて、昔と今と、時代の変化を感じますか。

小林:クリエイトするというのは一種の闘いであるはずで、仕事場では技術を通して争って当たり前なんです。でも時代が立つにつれて若者たちが争わなくなった。争いを避けるようになった。私もだんだん社員と争わなくなってきた。これは時代の流れとして大変残念なことだと思っています。

――今の時代は、たとえ技術的なことでも相手と争わないで進める、協調性を重視するという考えが主流になっています。ここで反対意見を出すと相手に申し訳ないと思ってしまうというか……。『あしたのジョー2』を観ていても思うのですが、昔の若者は、どうして“闘い”をやめなかったのでしょうか。

小林:争わないのは身を守るためでしょう? 自分のやっていることに対して満足しているかは脇へ置いておいて、お互い馴れ合いで満足する状況というのは、それはもう、ものづくりじゃないんだよ。

お互いに、自分の考えをぶつけて言葉を交わして闘う。それが当たり前という時代があったんです。
貧しい時代は飢えとの闘い。衣食住、生活上の闘いがあり、お互いに必死に譲れない、という生活をしていました。
それがなくなって、いつしか豊かになると同時に若者は闘いをやめたんですね。他人と争わなくていいくらいラクになっちゃった。

――小林さんが生まれ育った頃と環境が違う、ということはありますか。

小林:大きいですねぇー。何もなかった時代ですから。ゼロから何かができあがっていくことの嬉しさがありました。何かやってみる、できてきた、嬉しい、です。

今の日本の商業アニメはちょっと所帯が大きくなり過ぎてしまいました。個人の意志ではどうにもならないことが増えすぎてしまった。
私自身も仕事でそれを目の当たりにした時、この業界から距離を置こうと思ったんです。……今のアニメは、このままでは良くならない。いっぺんやり直すしかない。私はそう見ている。

――どんな活路があると思いますか?

小林:もう一度「絵本」に戻ればいいんです。一枚の絵である「絵本」をひとつの基準として考えるんです。
アニメは、ひとりでは動かせないということで、セルのキャラクターと背景が分業制で別々なものとして発展してきた。これは本来のあり方ではないんです。やっぱり一枚の絵で、一枚の世界でなきゃあ。

できればひとり、または少数の作家が、お互いに共通点を持ち合って作っていく。個人による映像づくりがこれからの将来に対して何らかの希望となると思います。

――なるほど。絵本の世界といえば、『ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん』(原題:TOUT EN HAUT DU MONDE(世界の頂点))という、背景とキャラクターが一体化したフランスとデンマークの合作作品が、日本のファンに支持されているという状況もあります。また、今は個人や少人数でアニメを制作して、webの動画配信などで発表する形も増えてきました。

小林:ああ、その方向、それは希望がありますね! ひとつのカラーで統一する。そこには新しい可能性がありますよね。そういう時代になっていくと思います。
少数の気があった、意気込みがあった者が良いと思います。アニメの魅力は、お互いの活かし合いにあるはずです。

――今は、ご自身の絵を描き始めたのですね。

小林:そうなりますね。それ以降もフランスでアニメの仕事を頼まれたり、自主制作のような形で『赤いろうそくと人魚』を映像化しました。子どもの頃から一度は描きたいと願った絵本の世界を描いています。
絵本作家になるにはもうタイミングを逸してますが、本来のやりかけた、子どもの頃、絵描きになりたいと思ったその夢を、再びやろうと思って今も描き続けているわけです。

『アニメ美術から学ぶ《絵の心》』
2019年8月29日発売
A4横判 160ページ
定価:本体3,000円+税 アニメ!アニメ! 渡辺由美子