極限の緊張で倒れた…地元での総選挙1位が松井珠理奈の分岐点 “勝利のふるまい”がネットで批判受け体調不良に苦しむ

引用元:中日スポーツ
極限の緊張で倒れた…地元での総選挙1位が松井珠理奈の分岐点 “勝利のふるまい”がネットで批判受け体調不良に苦しむ

 人気アイドルグループSKE48の松井珠理奈(22)が同グループから卒業することが7日、分かった。松井は1期生として2008年にSKE48入り。18年6月にナゴヤドームで行われた選抜総選挙では1位に輝いた。

【写真】松井珠理奈“悲願”の総選挙1位

 ひと一倍、SKE48愛が強かった珠理奈が卒業を決断した。体調を崩しながらもSKEの顔であり続けた珠理奈が、ありったけの愛と責任感を込めた「居場所」に別れを告げる。

 2010年、愛知県知事公舎でのあいちトリエンナーレPR行事で出会ったのが最初だった。ミニスカートのメンバー13人が知事と意見を交わした後、コメントのために、担当者に連れられたのが12歳の珠理奈だった。「トリエンナーレのことは学校でも来てねと話題にしています」。もじもじすることはまったくない。とても中学生にはに見えない。立ち姿も、目鼻立ちも、受け答えも抜群で、20歳前後でも通りそうな大人びた雰囲気。「いい子でしょう」担当者は自信たっぷりに笑みを漏らした。

 珠理奈がSKEに入ったのは小学6年の08年。1期生のオーディションで「ダイヤモンドの原石」とプロデューサー秋元康さんをうならせた。「AKB48 FOR NAGOYA」のチーム名で進んでいたAKBの姉妹グループプロジェクト。地方発のメンバーでありながら、AKB躍進の節目となったシングル「大声ダイヤモンド」(08年)のジャケット写真に大抜てきされた。AKBメンバーのやっかみも受けたという。その後、AKBとの兼任時も、篠田麻里子を敬愛しつつ、SKE愛を口にしていた。

 年を追うごとに熱狂を極めた「AKB48総選挙」では、SKE内ではほぼトップ。総選挙前にはメンバーやファンを率先して鼓舞した。13年からは「神セブン」入り。今やアジアに広がるAKBグループの東京以外の足掛かりをつくった最大の功労者といっていいだろう。

 ターニングポイントは18年6月、ナゴヤドームで開かれた「AKB48世界選抜総選挙」。地元初開催で結果を出さねばと緊張は極限。開票前のコンサートでは、動けなくなり、抱きかかえられて退場した。1位が珠理奈、2位が須田亜香里。結果に喜ぶ様子などがファン感情を逆なでし、ネット上に批判が押し寄せた。その翌日の握手会は体調不良で途中退席した。

 その後、2カ月間、活動を休止。体調をみながら活動を再開したが、19年秋にも1カ月余、再び休養、11月のイベントで復帰していた。休養中には、全曲、珠理奈が作詞したソロデビューアルバムを発売している。肺炎や帯状疱疹(ほうしん)に苦しみながら、道を模索していたのだろう。

 今でこそ歌謡界は、ダンスが人気を左右するが、SKEは08年の発足当時から激しいダンスを武器に、AKBとの差別化を図っていた。中でも珠理奈のダンスは群を抜いた。華やかさとキレで遠目で見ても珠理奈だとすぐにわかった。

 1月18~26日に東京で開かれた「AKBグループ2020 TDC ライブ祭り」では、リクエストアワー選出曲やSKE新曲を披露。最近は体調をみながら仕事を絞っており、すこしふっくらしていたが、はつらつした笑顔を見せていたという。

 2011年、不動だった総選挙のSKE首位の座を1回だけ松井玲奈に譲った。「居場所があることに感謝して一歩一歩進んでいきたい」。負けず嫌いの気持ちをのみ込んだ自制心ある言葉に、これが中学生かと耳を疑った。珠理奈はずっと自分の「居場所」を考えていたのだろう。7日、SKE劇場チームS公演で、思いを直接、ファンに伝えた。

 最初の個別インタビューで「好きなのはお母さんのミートスパゲティ」と明るく語ったのは13歳のとき。今から考えると、アイドルの好物は母の手作り料理、と策を巡らせていたのだろう。どんな時も先読みして応える才覚があった。11年あまり、張り詰めた緊張からようやく解き放たれる。プロデュースや作詞に興味があるとも、卒業しても芸能活動を続けるとも、これまで伝え聞いていた。まだ22歳。輝ける居場所はすぐに見つかるはずだ。(持田則子)