現代美術家、森村泰昌が問いかける 「さまよえるニッポンの私」とは?

引用元:ぴあ
現代美術家、森村泰昌が問いかける 「さまよえるニッポンの私」とは?

現代美術家の森村泰昌による個展『森村泰昌:エゴオブスクラ東京2020ーさまよえるニッポンの私』が、原美術館にて4月12日(日)まで開催されている。

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名画や映画の登場人物あるいは歴史上の人物に自らが扮するセルフポートレイト作品で知られる森村泰昌。巧みなメイクや衣装で、時代や人種、性別を超えてさまざまな人物に自らが成り代わり、制作を通して原作やその背景に独自の解釈を加えることで、観る人の固定観念に揺さぶりをかける。

1985年にゴッホの肖像画に扮したセルフポートレート写真を発表。以降、マネ、レンブラント、ダ・ヴィンチといった画家作品の登場人物になりきる「西洋美術史」シリーズ、ディートリッヒやマリリン・モンローなどに扮した「女優」シリーズ、ヒトラーやチェ・ゲバラ、三島由紀夫などに扮した20世紀の「男達」シリーズなど、一貫して自画像的作品で「私とは何か」をテーマに作品を作り続けてきた。

同展では、そんな森村作品から、エドゥアール・マネ《オランピア》から生まれた初期代表作《肖像(双子)》と新作《モデルヌ・オランピア2018》をはじめ、マッカーサーと昭和天皇、三島由紀夫やマリリン・モンローのポートレート作品などが展示される。

加えて、自らが脚本を手がけ自演する映像作品「エゴオブスクラ」と、この映像を用いて会期中開催される作家自身によるレクチャーパフォーマンスを上演。自らの言葉で自作が生まれた背景、そして、そこに込められた思いが語られる。

この映像作品は、2018年にニューヨークのジャパンソサエティーで行われた森村の個展で上映された作品を、今回の展覧会用に再編集したもの。その中で、森村は自身の生い立ちの背景となった日本近現代史や文化史について言及。1951年、占領下の大阪に生まれた森村は、戦前の教えを否定するような教育を受ける中で、「真理や価値や思想というものは、いくらでも自由に着替えることができる」(映像作品《エゴオブスクラ》より)という発想に導かれたという。

戦後の日本人に広がった「空虚」と、そこを埋めた西洋の価値観に揺さぶられながら、「私とは何か」を問いさまよい続けてきたと、森村は語る。

「ゴッホの作品に扮したり、レンブラントの作品に扮したり、私自身があちこち転々とさまよっている。そして、私が生まれ育った文化領域も、戦後のさまよえる世界だった。また、現代という時代も、何ものにも定着しないさまよえる時代。日本、文化、そして私自身という、さまよえる3つを重ね合わせた時に生まれてくる、ある種の世界を表現したいと思ったんです」(森村)

映像作品のラストには、作家の三島由紀夫による演説のパフォーマンスが映し出される。三島の演説における「憲法」「自衛隊」を「芸術」という言葉に置き換え、森村なりの今の時代に向けたメッセージが語られる。

「演説のラストの部分は、巻物で書いた文章とは異なります。以前のバージョンは自分自身で納得できなくて、今回、その時代に向けたメッセージを再考して変更しました」

「芸術家として重要なのは批評精神」だと語る森村。彼が作品に込めた思いや時代に向けたメッセージを受け止めてから作品を改めて観ると、より深い理解や新たな解釈が生まれるはずだ。

【開催情報】
『森村泰昌:エゴオブスクラ東京2020ーさまよえるニッポンの私』4月12日(日)まで原美術館にて開催