22歳から2度の豊頬手術で悪役開花 日活に無断でシリコーン注入…宍戸錠さん評伝

引用元:スポーツ報知
22歳から2度の豊頬手術で悪役開花 日活に無断でシリコーン注入…宍戸錠さん評伝

 21日に死去が明らかになった俳優・宍戸錠さん(享年86)の特徴と言われて、真っ先に思い浮かぶのは頬のふくらみ。22歳だった1956年にシリコーンの埋め込み手術を受け、2001年に除去するまでトレードマークとして知られた。二枚目俳優として入社3年目に下した“英断”は、宍戸さんの俳優人生を成功に導くものだった。

 日活ニューフェイスの第1期生として1954年に入社した宍戸さんは、翌年には「警察日記」でデビュー。俳優として順調な一歩を歩み始めた時、まばゆい二筋の光を目にする。宍戸さんが「チャンユー」と呼んだ石原裕次郎さん(87年死去、享年52)と「アキラ」こと小林旭(81)。後に、日活の黄金期を共に支えることとなる2人との出会いが、宍戸さんに整形手術を決心させた。

 二枚目路線で売り出していったとしても、この2人にはかなわない―。ならば別の道を歩もうと、入社3年目の56年5月に両頬にシリコーンの一種であるオルガノーゲンを注入。日活には無断で、顔にメスを入れた。「毎日誰かに言われたんですよ。『頬がこけ過ぎてる』って。だったら入れりゃいいんだろ、と」。1回では物足りず、追加で注入。その膨らみは、宍戸さんの俳優人生を変え、「アンチヒーロー」としての役目をもたらし、殺し屋が当たり役となった。

 キャッチコピーは「早射ち世界第3位、0・65秒」。ちなみに、宍戸さんによると1位は映画「真昼の決闘」のゲイリー・クーパー、2位は映画「シェーン」のアラン・ラッドと、いずれも米西部劇の大ヒーローだ。日活アクションスターの中でも自らを裕次郎さん、小林に続く第3位としていたが、主演作は50本以上。間違いなく「銅メダル」ではなく、中心俳優の一人だった。

 01年には、家族の反対を押し切って除去手術を受けた。理由は「この顔に飽きた。ツヤツヤして老け役がこないから」。摘出したオルガノーゲンは牛乳瓶に入れ、13年に自宅が全焼するまで大切に保管していたが、決して「昔の栄光」にすがっていたわけではなかった。

 自身の出演作で好きな作品を聞かれると、映画「拳銃(コルト)は俺のパスポート」(67年)を挙げた。その中の「俺の(人生)は逃げるんじゃねえ、生きるんだ」というセリフが好きだからだという。「今の瞬間から明日が始まっている。そういう生き方がいいじゃない?」。常に次回作のことを考えていた。近年は表舞台に姿を見せることは少なくなっていたが、最後まで宍戸さんは「エースのジョー」だった。 報知新聞社