第162回芥川賞 「受賞作なしをなんとか避けられた」 島田雅彦選考委員が講評

引用元:産経新聞

 第162回芥川賞が15日発表され、古川真人(まこと)さん(31)の「背高泡立草(せいたかあわだちそう)」(すばる10月号)に決まった。選考会後、選考委員の島田雅彦さんが会見に臨み、選考経過について説明した。概要は次の通り。

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 「フタが開いた当初は、受賞作なしの結果になるのではないかという気配が濃厚に漂っており、たいへん重苦しい空気にも関わらず活発な議論が展開され、“受賞作なし”という最悪の事態を避けることができたのは喜ばしい感じであります」

 --初回投票での順位は

 「通例、選考が始まったと同時に投票いたします。具体的に過ぎない形で結果を申し上げると、高尾長良(ながら)さん(27)の『音に聞く』(文学界9月号)はきわめて厳しい評価で、最初の段階で受賞は難しいということになってしまいました。次いで乗代(のりしろ)雄介さん(33)の『最高の任務』(群像12月号)も(〇△×評価の)×が多い評価でした。3番目に木村友祐さん(49)の『幼な子の聖戦』(すばる11月号)が〇1つで、あとは△と×。×の方が多いかな、という感じでした」

 「5作の中で比較的評価が高かったのは千葉雅也さん(41)の『デッドライン』(新潮9月号)と古川さんの作品でした。今回はみんな辛口で、手元の投票の一覧を見ると、×が多いですね。〇が2つしかない。全体としてかなりシビアな評価だったということは申し上げておく必要があります」

 --投票は全部で何回?

 「1回目の投票後、そのままいくと受賞作なしになってしまうので、そこは擁護演説を展開して、評価を翻してくれる方を期待する形で進むわけですね。それが奏功した結果、最終的に古川さんの受賞となった」

 --古川作品のどこが評価されたのか

 「すでに候補4回目で、彼の作風については多くの選考委員が把握しております。例によって(長崎県の)平戸とおぼしき町を中心としたサーガ(叙事小説)の一つです。今回は草刈りという誰もやりたくない退屈な作業に若手が嫌々参加するのが現在時点の話で、それで多少語り口が読みやすいものになっており、そのことについて肯定、否定が分かれました。今作の特徴はその土地に根付いた歴史的重層性を巧みにすくい上げていて、単調な草刈りの合間に時空を超えたエピソードを織り込み、これまでの古川作品とはかなり毛色が変わっていた。時間的な複層性が入ってきたことが非常な評価の対象になりました。ただ、そうした歴史的なできごとと、現在時点の草刈りに参加している人たちの意識の関連付けが今一つ弱いのではないかという指摘もありました」

 --千葉作品については

 「一種のカミングアウト小説で、そうしたLGBTQというテーマ自体、昨今は多くの人が手掛けるようになっています。その中できわめて私小説的、自伝的なスタイルで、自らの性的志向にからめて、修士論文を準備している大学院生が仏哲学者のドゥルーズをはじめとする生成の哲学をいかに消化していくかということと、自分の多様なアイデンティティーといいますか、何かに随時生成変化していくような“わたし”というものの発見がうまく組み合わされていることへの評価は高かった。しかし昨今多くの人が自伝的小説を書く中で、これが誰もがすなる自伝的小説の定型をはみ出すようなパワーを持っていたかというと、ややネガティブな意見もあった」

 --ほかの3作について

 「木村さんの作品。エンターテインメント的面白さを評価する人もいたが、それゆえにダメだ、エンタメに走りすぎという意見もあった。青森とおぼしき村の村長選で、対立陣営同士のはざまに立たされた、かなり情けないどっちつかずのキャラクター。この厨二病的なキャラを愛する人と、ダメという人の両方がいましたね。かなり厳しい政治に対する風刺がふんだんに盛り込まれていて、政治と性をめぐるスラップスティックに仕上がっている。ある意味タイムリーにも思えますし、私はそこを買ったわけです。マイナス評価としては、語り手、主人公のええかっこしいが全く決まらない。それを評して“陳腐なニヒリズム”と言った方もいました」

 「高尾作品については非常にネガティブな意見が多かった。一種のアーティストノベルで、ウィーンを舞台に家族関係を通じて音と言葉の考察を行っているわけですが、このペダンチック(知識をひけらかす)なスタイルに対する否定的な評価が多かった」

 「乗代さんはテクスト相互の関連性などに非常に関心が高く、常に何らかの引用や言及を通じて独特の世界を作り上げてきた。今回も割と複雑なたくらみをなさっているが、ややもすれば彼が得意とするその手法そのものが目的化してしまっていて、センチメンタルな家族の思い出を描く際に、必ずしもテーマと手法が一致しているとは限らない、乖離(かいり)があるという意見がありました」