父に“いらない子”と呼ばれた世界的彫刻家ルイーズ・ブルジョワの人生【後編】

引用元:ELLE ONLINE
父に“いらない子”と呼ばれた世界的彫刻家ルイーズ・ブルジョワの人生【後編】

六本木ヒルズに鎮座する巨大なクモ。その作者の名はルイーズ・ブルジョワ。世界的彫刻家として知られる彼女は、フランスを捨ててニュヨークへ逃避したことで成功を収めた。

これは実の父から“いらない娘”と呼ばれ続けた彼女が、その呪いから解放されるまでの物語。今回は、その後編をお届け。 父に“いらない子”と呼ばれた世界的彫刻家ルイーズ・ブルジョワの人生【後編】 (写真)「ねじり上げたい」との時の欲望から生まれた“Spiral”シリーズを前に GETTY IMAGES

18歳の愛人

別の日、11歳になったルイーズときょうだいに18歳の英国人ナニーがやってきた。父ルイが英語教師として雇ったのだった。

父に愛情を注がれるサディ・ゴードンという少女の登場にルイーズは激しい憎悪を募らせた。サディ自身が憎かったわけでは決してない。寝室のべッドから母を追い出し、父はそこに彼女を招き入れたからだ。7つしか違わない愛人の存在は公然の秘密として母も受けれていた。女性を取り替えられるものと考える男性の身勝手さは、世間の風評という形で子供たちに傷を残し、家庭内に不穏なムードが満ちていった。

「子どもの頃、タペストリーを川で洗って絞るとき、またひとり増えた生きる場所を奪いあう存在に家庭を侵略されたように感じました。この布のようにいつかナニーの首をねじり上げてやりたい。そう思ったものです」(ルイーズ)

「お前を食わせてやって世間に出してやると言うんだ。感謝しろ」と娘に恩を着せる父。しかしいっぽうで母はこう教えた。「成功しようがしまいが、恐れる必要はないわ。おまえに必要なのは、他の誰にも代われない必要不可欠な存在になることよ」。こうして彼女はその後、親に必要とされる人物になろうと心に決め青春時代を送っていく。 父に“いらない子”と呼ばれた世界的彫刻家ルイーズ・ブルジョワの人生【後編】 GETTY IMAGES

母たちが伝えた負の遺産

「どうしたら中産階級の家庭で、愛人がまるで必要不可欠な家具のようになれるのよ?」

賢いハイティーンに育ったルイーズが訊ねると、父の横暴の最たるものとして愛人の存在を甘受していた母はこう答えた。

「私の母もそれを受け入れてきたからよ」

ルイーズはそのとき、男性の尊大な振る舞いを女性が連綿と赦してきたことを思い知ったのだった。

その後、ルイーズは1929年、名門ソルボンヌ(パリ第三大学)に入学する。すると父は掌を返したようにあれだけ嘲笑し、いじめていた娘を尊重するようになった。

「父は、姉や弟より私の能力が高いこと。そこに敬意を払ったのです」

両親の、とくに父の歓心を買うため数学の研究に勤しむ才女ルイーズ。しかしそんな動機付けは、むしろ彼女を消えることのない不安に引きずり込むだけだった。私の能力が実はたいしたことがなかったら?