「たけしのお笑いウルトラクイズ」で絶叫しながら60m落下【ダンカンの笑撃回顧録】

「たけしのお笑いウルトラクイズ」で絶叫しながら60m落下【ダンカンの笑撃回顧録】

【ダンカンの笑撃回顧録】#21

 カタカタカタ……コロリ!えーと……俺の人生ルーレット……今回止まったのは? 1992年てことは、あのお笑い界の伝説として現在なお語り継がれる、あの番組のあのクイズ(?)の年ではないか!? あー! やっぱり晴天の空を見上げれば、60メートルを超えるコンクリート造りの霞ケ浦ふれあいランド・虹の塔の屋上から滑り台が空中に突き出てるよー!!

 そしてそこに、頭を空中の方へ向け、横たわっているのは……ウワ~まさしくこの俺なのだー!!

 その伝説の番組は「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ!!」であり、俺が挑戦しようとしているのは、不正解だと滑り台の足の方が持ち上がり、そして体は60メートル超えの屋上から落下する「滑り台バンジージャンプクイズ」であったのだ。

 大の大人がこれほどまでに大がかりにくだらないことに命もかければ金もかける、そんなバブル期の余韻がまだ残る時代であったのだ。

 ある時、番組プロデューサーで「純米酒を抱いて眠る男」という異名を持つA氏がグラスを片手に赤ら顔で言ったのだ。「まあ、ここだけの話ですがね、ダンカン君はこの番組の放送作家だから、コッソリ言っちゃいますけどね、今回のお笑いウルトラクイズの制作費ですね……(ここで、もったいぶった間をつくった)ちょっとした映画を作るくらいのお金かかっちゃいましてね、ウフフフ……いや~参った参った、プロデューサーとしては頭が痛い限りです」と、三百六十度どこから見ても頭の痛さなどみじんも感じられない態度を示したのだった。

 その時、俺は制作費に関しては一切無知だったので、実際の金額は尋ねなかったと思う。映画と同じほどの制作費は純米酒がA氏に大風呂敷を広げさせたのかもしれないが……とにかく現在とは格段の違いで湯水のごとく制作費を使え、さらに現在のようなコンプライアンスや放送の規制が限りなくゆるい、まさに「夢の時代」であったのだ。

 そんな中、番組会議に俺が出したネタが、滑り台バンジージャンプ。会議室には日本テレビの演出の財津功氏をはじめ、プロデューサーを務めていた伊藤輝夫氏(現・テリー伊藤)や他のプロデューサー、ディレクター、放送作家ら20人ほどの人間がいて、それを見た瞬間に全員の目がキラリ!! と輝いたのだった。

 しかし、何でもありのイケイケのテレビの時代とはいえビルからバンジーとなると危険度は半端ではない……。財津氏がすかさず「面白い! ぜひやりたい!! でも、大事故の可能性も……タレントはどうする?」と質問を投げかけてきた。「ええ、それは太田プロです。太田プロなら金で動きます! ダチョウ倶楽部とか?」と俺、「なるほど……」と、早速スタッフが太田プロに打診の連絡を入れると、「さすがにうちのタレントをそんな危険な目に遭わせられません!!」とあっさり断られる予想外の展開に……。

 空気が止まった会議室……。諦めきれない財津氏の絞り出すような「タレントさえいればいいんですよね……」の声。その視線が俺を見つめて動かない……あ……気がつけば二十数人の眼球が俺をロックオンしていた。

「う、う、やりましょう!!」

 こーしてあの夏、俺は「世界最大の両生類は?」のクイズに「カルーセル麻紀!!」と絶叫しながら60メートルの上空から落下していったのだった。 (つづく)

(ダンカン/お笑いタレント・俳優・放送作家・脚本家)