ラッパーの般若に密着したドキュメンタリー番組『music Bean #001 般若』が12月30、31日にヒストリーチャンネルで放送される。
人気番組『フリースタイルダンジョン』で初代ラスボスを務め、武道館公演も成功させるなど、日本のヒップホップシーンを代表する「顔」のひとりだ。
2歳で離別した父との記憶、20歳でハーフだと知った心境、息子の誕生がもたらした変化。そして公私にわたる長渕剛との交流…。般若の知られざる素顔に迫った。【BuzzFeed Japan / キャサリン ジヘ・ゴウ】 「抱きしめられたのは覚えています」
記憶になかった父。10歳の頃、突然電話がかかってきた――番組を見て、般若さんにとっての家族の存在の大きさをすごく感じました。お父さまとは小さい頃に離別されているそうで。
親父はとにかくいなかったです。2歳ぐらいまで一緒だったって話は母から聞かされましたが、僕の記憶では本当にいなかったんですよね。
父に会ったことも生涯で3回ぐらいしかないです。
――お父さまと初めてお会いしたのはいつですか?
10歳の時に突然電話がかかってきて、サーカスに連れて行ってもらった記憶があります。
初めて会った時の心情は、なんか複雑でしたよね。抱きしめられたのは覚えています。
――お父さまに会いたい、という気持ちはあったのでしょうか。
子どもの頃、親父がいなくていじめられたりとかしてたんで、やっぱりちょっと…。ただ別に、すごく寂しいなっていう気持ちもなかったです。
そこまで深く考えないようにしてたのかもしれないですね。
小さい時に存在や温もりを知って離れたわけじゃなくて、存在自体が元々なかったんで。 「その時に親父の出身地を初めて知りましたね」
父との死別――最後にお会いしたのは。
高校1年生の時、渋谷で会ったのが最後でした。電話で具合が悪いから会いたいって言ってて、声もあんまり出てなかったんですよ。
会った時はまともに歩けない状態で、手すりに捕まってました。俺よりも大きい人だったんですけどガリガリになってて。驚いて「えっ?どうしたの?」って聞いたら、ガンだったんですよ。
もうすでにガンが転移しまくってたんですよね。その数週間後に亡くなりました。
当時僕が高校1年でサッカー部の合宿があって。見舞いに行かなきゃと思って合宿が終わって次の日の日曜日に、親父から言われた病院に行ったらもう死んでたんですよ。
…っていうか、「いない」って言われたんです。
――「いない」…?
父の名前を伝えたら「そんな人いない」って言われて。「多分ここのはずなんですけど」って僕が名前を名乗ったら、ちょっと病院の中がざわざわし始めて。
いろんな事情があって、僕の本当の苗字と親父の苗字が違うんですけど。院長先生に関係性を聞かれたので、「実は僕、息子です」って言ったら、もう3日ぐらい前に死んでると言われて「えっ…そうなんですか」みたいな状態だったんですよね。
あんまりその時ちゃんと受け入れられなかったというか、わけわからないじゃないですか。
とりあえず病院から伝えられたことを家に持ち帰りました。親父の体がもう病院にはなかったんで。
――葬儀なども済んだ後だったということでしょうか。
言える範囲で言うと、親父が東京の人間ではなかったので、親父の親族がいる所に引き取られてました。
その時に親父の出身地を初めて知りましたね。そこだったんだみたいな。後々いろんなことが発覚していきました。
――最後に渋谷で会った時はお話できるような状況ではなかったんですか。
いや、話せはしたっすね。どんな話をしたのかは覚えてません。話せはしたんですけれども、体力的にだいぶキツそうでした。それだけは覚えてます。
「長渕剛が僕より先に息子を抱いた」ラッパー般若が語る父と息子への思い
引用元:BuzzFeed Japan