88歳・山田洋次監督「映画って、まだまだ分からない」…「男はつらいよ」50作目27日公開

引用元:スポーツ報知
88歳・山田洋次監督「映画って、まだまだ分からない」…「男はつらいよ」50作目27日公開

 シリーズ50作目の話題作「男はつらいよ お帰り 寅さん」が27日に公開される。1969年の第1作から半世紀。陰の主役は他でもなく、寅さんを世に送り出した山田洋次監督(88)だ。早くも「シリーズNO1」の声が出ているが、封切り目前に何を思うのか。監督の仕事を知り尽くした名匠から発せられたのは「まだ僕は、映画のことが分からない」という衝撃の一言だった。(内野 小百美)

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 あの黒澤明監督(98年死去、享年88)ですら、晩年「映画の不思議」を語っていたという。山田監督は思わず聞いた。「具体的にどんなところなんですか」と。返ってきたのは「魔法の力を感じる。カット(撮った場面)をつなぎ合わせると予想もしないものが浮かんで」。「僕も今回、本当にそれと似た体験をしたのね。回想シーンを使う中で予想だにしない発見というのかな。苦しみながらも、とても楽しかった。でも映画って、まだまだ分からないものだね」

 今作では4Kデジタル技術を駆使。寅さん(渥美清)らの名場面、満男(吉岡秀隆)やさくら(倍賞千恵子)ら柴又のおなじみの面々を融合して話は展開していく。これまで徹底したフィルム派を貫いてきた監督にとって、一大決心でもあった。

 「今回の出発点に(芸術家の)横尾忠則さんが『寅さんをコラージュにしては』の発想があった。そうこうするうち、回想シーンがたっぷりある50作目の話が具体的に出てきた。最初に聞いたとき、面白そうだと思ったけれど、本当にうまくいくのかな、とも思ったのね」。半信半疑の気持ちもあったと明かす。

 普通回想シーンといえば若い俳優が演じ、別作品のように“分離”して存在するケースが多い。「それが“寅さん”の場合、みんな自分のかつての姿で出てくるわけだから。映画史でもほとんどない。50年前の1作目の古いフィルムがニュープリントみたいにきれいになった。今回、二重の意味でデジタルの恩恵にあずかったんだよね」

 車寅次郎は1968年、テレビドラマで生まれた。しかし現実問題として監督業が多忙を極め、掛け持ち困難に。ハブにかまれて寅が死んだのは苦肉の策だった。結末に抗議電話が殺到。「勝手に殺しちゃって。僕は何てことをしたんだろう、とすごく反省したね」。当時30代。呵責(かしゃく)の念が、松竹上層部に単独で映画化を直談判する行動に突き動かした。

 「お客さんが入れば会社も手のひら返したみたいに『もう一回いけるだろ?』と。もう一回、もう一回と。最初に50作なんて言われていたら。絶対無理だし、できっこないよ。何より、渥美さんとの出会いがなければ生まれなかったのだから」

 いまも渥美さんと話したい衝動に駆られるという。「頭のいい、まるで哲学者のような、時代を見抜く人だったから。今の世の中、どう思う? どこか間違ってると思わない? と聞いてみたいな」

 49作目(特別篇、97年)から22年。生まれた赤ちゃんが22歳の大人になる年月だ。シリーズ復活はまさに奇跡といえる。映画界もシネコン主流となり、様変りした。

 「近頃の映画館は見る前から『騒ぐな』とか、いろいろ言うだろ。あれは良くないな。寅さんはわいわい騒ぎながら見てほしい。でもシネコンは僕たち世代にはチケットを買うのも難しい。渥美さんに最後に会ったとき、電車の切符販売機が難しくなったことを話していた。そんなことも思い出すね」

 自作のPRに没頭中かと思ったら、情報のアンテナはビンビン。常識的な年齢イメージを覆す。洋画「ジョーカー」、アニメ映画「すみっコぐらし」のヒットを“分析”した。「人恋しい寅さんも孤独なんだけど、ジョーカー的な孤独さとは全然違うよな。すみっコぐらしは、最近の若者たちが隅っこが心地いいってことなのかい? なぜヒットするのか。お客さんは何を求めているのか。気になるものですよ」

 目線の柔軟性と「聞く耳」の大きさが感性のみずみずしさにつながっている。取材が終わろうとした時「満男の娘って大きくなったら、どんな恋をすると思う?」と逆に聞かれた。監督の頭の中には、すでに51作目の構想が動き始めているようだった。

 ◇あらすじ 小説家になり、注目され始めた満男(吉岡)は妻を亡くし、現在は中学生の娘と2人暮らし。満男の夢の中に、若い頃に思いを寄せた初恋相手のイズミ(後藤久美子)が現れる。妻の七回忌法要で柴又の実家へ。母・さくら(倍賞)、父・博(前田吟)と昔話に花を咲かせ、伯父の寅次郎との楽しかった思い出が次々によみがえってくる。なお、今作を中学以下は100円で観賞することができる。

 ◆山田 洋次(やまだ・ようじ)1931年9月13日、大阪府生まれ。88歳。幼少期を満州(中国東北部)で過ごす。東大法学部卒。54年松竹に助監督で入社。61年「二階の他人」で監督デビュー。69年から「男はつらいよ」を手掛ける。2002年時代劇「たそがれ清兵衛」で米アカデミー賞外国語映画部門ノミネート。代表作に「幸福の黄色いハンカチ」「息子」「学校」「母べえ」「家族はつらいよ」「母と暮せば」など。08年芸術院会員、12年文化勲章。 報知新聞社