【あの時・日本レコード大賞<11>】八代亜紀「雨々ふれふれ」子供たちも真似

引用元:スポーツ報知
【あの時・日本レコード大賞<11>】八代亜紀「雨々ふれふれ」子供たちも真似

◆八代亜紀(80年大賞)

 “大みそかはレコ大と紅白”がお茶の間の定番だった。1959年にスタートした日本歌謡界最大の音楽イベント「日本レコード大賞」が今年、令和に入って第1回目となる。12組の歌手や作家が当時を振り返る。(この連載は2018年12月にスポーツ報知掲載の復刻)
 ※「第61回日本レコード大賞」は12月30日午後5時半からTBS系で放送される。

 80年に「雨の慕情」で大賞を受賞した八代はデビュー当初は売れず、「全日本歌謡選手権」で10週勝ち抜いて道が開け、73年に「なみだ恋」が120万枚突破。初めて歌唱賞を受賞した。

 「レコ大は第1回『黒い花びら』から見ていました。印象深いのは尾崎紀世彦さん。ものすごい歌唱力で大ヒットして『大賞か』と言われている時、売れない私は地方回りをしていた。『いつかは自分も』という思いはありましたが、現実はほど遠かったので初めて歌唱賞を受賞した時は『やっと来た』という感じでした」

 それ以降はレコ大常連となり、76、77年と2年連続で最優秀歌唱賞を獲得。レコ大を意識したのは79年の「舟唄」だった。

 「歌唱賞5人に選ばれないと上に行けない時代で、私の最優秀歌唱賞って歌手としてすごい歌がうまい証しだし、歌もヒットしていなくちゃいけないでしょ。最優秀賞2度を取って、いつかは大賞を取りたいと思っている中、出会った曲が『舟唄』。初めて阿久悠先生の作品でした」

 ―今までとイメージ違う作品だった。

 「『行かないで』とか『待っています』というこれまでの女心ではない、八代の新境地となる詞を、メーカーから阿久先生へお願いしました。何十曲も書いていただきましたが全部ボツになり、先生も憤慨なされて『じゃあ、これはどうだ』と机の中から出してきたのが『舟唄』でした。「お酒はぬるめの燗がいい 肴はあぶったイカでいい」。手書きの原稿2行読んだだけで大ヒットすると思いました。実はこの歌、先生が『(美空)ひばりさんの詞を書きましょう』という雑誌の企画で書いたらしいです」

 「舟唄」の翌年に「雨の慕情」を発売。大ヒットしレコ大を獲得したが予感はあったという。

 「収録から帰宅して家族にデモテープを聴かせたら、1歳8か月の甥っ子が、サビの「雨々ふれふれ もっとふれ」の時に『アメ、アメ』と言ったんです。私、これを見てヒットすると思いました。夏過ぎからあちこちで『大賞だ』とか書かれたりしました。砂場で子供たちが風呂敷背負って“雨々”って振りをやってたり、信号待ちで運転手が鼻歌で歌っている。社会現象ってこんなことだと感じました」

 ―受賞の瞬間は。

 「電気が全身にジーンと流れる感じでした。これまで『もう十分でしょ』と何回自分を慰めたか、デビュー10年目の区切りに天が与えてくれました。神様が『舟唄』の時に『1年待ちなさい』ということだったんでしょう。でも大賞を取った翌年からさらにスケジュールが忙しくなり、心身ともに疲労がピーク寸前になり『少しゆっくりさせて』と初めてわがまま言いました。あのままだったら歌が嫌いになったと思います。今は大好きな絵を描く日もあったり、好きなジャズや演歌を歌って超充実しています」(構成 特別編集委員・国分敦)

 ◆八代亜紀(やしろ・あき)本名・増田明代。1950年8月29日、熊本県出身。69歳。71年に歌手デビュー。73年「なみだ恋」がミリオンヒット。その後「愛の終着駅」「舟唄」などヒット曲を連発し、80年には「雨の慕情」でレコード大賞を受賞する。2010年には文化庁長官表彰を受賞。絵画では画家の登竜門とも言われる世界最古の美術展、フランスの「ル・サロン」で5年連続入選を果たし永久会員となる。

◆「五・八」戦争を懐かしむ

 ―「五・八」戦争として注目を集めたが。「五木さんとは同じ銀座のクラブで歌っていた仲間でしたので、戦っている気持ちはなかったんだけど、周りのピリピリ感は伝わってきました。今では同じステージに上がって一緒にあの頃を懐かしむ時もあったりするんですよ」 報知新聞社