1950年前後から売り出しヒットを飛ばしたが… 昭和の人気マンガ家・益子かつみの消息は?

引用元:夕刊フジ

 【マンガ探偵局がゆく】

 今回は往年の人気マンガ家の消息調査だ。

 「探偵局の依頼者は、私よりも年下の方が多いようですね。たまには高齢者の依頼にもお付き合いください。調べていただきたいのは、子供の頃好きだったマンガ家・益子かつみさんの消息です。低学年向け月刊誌『幼年ブック』に益子さんが連載していた『さいころコロ助』というチャンバラマンガに夢中だったのです。高学年になるとマンガ自体をほとんど読まなくなって、益子さんのことも忘れていましたが、最近、孫と『ドラえもん』などを見ていて、益子さんがこれらの原点かも知れないと考え始めました。ご存命なら90過ぎのはずです」(まもなく後期高齢者)

 調査を依頼されたマンガ家・益子かつみは1925(大正14)年生まれ。旧制中学時代からマンガ家を志し、家出して北澤楽天に入門。兵役を経て、戦後、本格的にマンガ家生活に入った。子供雑誌のメインが、少年・少女小説から絵物語やマンガに移った1950年前後から売り出し、代表作になったのが52年からスタートした「さいころコロ助」だ。胴体がサイコロの剣士・コロ助の活躍を描く奇想天外な時代劇で、依頼人が読んだという集英社の「幼年ブック」のほか、同誌を引き継いた「日の丸」にも連載された。

 当時の担当編集者で、のちに「週刊少年ジャンプ」創刊編集長となる長野規は「益子さんほど、何でもこなす人、どんなにスケジュールが苦しくても仕事を断らない人はいない」(筑摩書房「少年漫画劇場」6巻解説)と振り返っている。少女もの、時代もの、SF、動物もの、挿絵やカットまで、当時のマンガ雑誌の全ジャンルを網羅する仕事ぶり。オフではお酒と旅行が大好きで、趣味も多彩。人間味あふれる人物だったという。

 週刊誌の時代になってからも「週刊少年サンデー」で創刊号から連載を担当。59年9月に連載が始まった「怪球Xあらわる!!」は、宇宙から遊びに来た野球ボール型の宇宙人が地球のダメ少年・ボン太郎を助けるという内容で、「オバケのQ太郎やドラえもんの原点」と評価するマンガ評論家も多い。

 また、66年には月刊誌「ぼくら」で円谷プロの特撮番組「快獣ブースカ」のコミカライズ作品を連載。こちらも人気だった。

 しかし、71年7月13日、仕事中に脳溢血で倒れ、そのまま帰らぬ人となった。享年46。

 単行本化された作品は少ないが、「怪球Xあらわる!!」が比較的入手しやすいだろう。お孫さんと読んでみては。

 ■中野晴行(なかの・はるゆき) 1954年生まれ。フリーライター。京都精華大学マンガ学部客員教授。和歌山大卒業後、銀行勤務を経て編集プロダクションを設立。1993年に『手塚治虫と路地裏のマンガたち』(筑摩書房)で単行本デビュー。『謎のマンガ家・酒井七馬伝』(同)で日本漫画家協会特別賞を受賞。著書多数。