“一番美しい役”をやらねば…玉三郎が抱く現実への危機感

“一番美しい役”をやらねば…玉三郎が抱く現実への危機感

 今月は2作の新作歌舞伎が上演されている。歌舞伎座ではグリム童話を原作とした「白雪姫」、新橋演舞場では宮崎駿のコミックを原作とした「風の谷のナウシカ」。ともに、主人公は16歳の少女。69歳の坂東玉三郎が白雪姫、42歳の尾上菊之助がナウシカを演じている。女優では無理で、女形にしかできない「芸」だ。

「白雪姫」は日本では継母に殺される話として知られているが、原作では実母で、歌舞伎版はそれに基づく。玉三郎が脚本と演出にも関わり、シンプルだが考え抜かれた衣装とセットが美しい。

「小人」は「妖精」という設定に変え、透明感のある子役たちが大健闘。童話を大人の観客を対象とした演劇として上演するのであれば、社会風刺であるとか、大胆な新解釈をしたいという劇作家・演出家の芸術的欲求があるはずだが、ここにはそれはない。

 若さをなくし容姿が衰えつつある女が実の娘に嫉妬する話は、老いつつある美人女優と若い女優にそのまま置き換えられ、さらに歌舞伎の女形に移された――玉三郎が野分の前で、児太郎が白雪姫なら、そういう話になる。だが、違うのだ。

 白雪姫に嫉妬し殺そうとする母「野分の前」を演じるのは26歳の中村児太郎。役者の実年齢は母娘で逆転しているが、児太郎のふっきれたかのような怪演に近い演技に、目を見張る。

 ここ数年、12月の歌舞伎座は、玉三郎が座頭となり、一種の公開レッスンとして若手の女形を指導する月となっている。今年も昼の部の「壇浦兜軍記」はその趣向で、玉三郎、児太郎、梅枝が阿古屋をトリプルキャストで競演している。

 そういう背景があって、玉三郎は「白雪姫」を企画し、演出し、主演した。今回のエチュードのテーマは、児太郎に「私はいちばん美しい女」と劇中で何度も叫ばせることで、女形に必要な自己陶酔の感覚を体験させることではないか。自分がトップであると表明することから、トップへの道は開けるのだ。遠慮してはいけない。

■「ナウシカ」やってる場合なのか?

 同時に、「一番美しい役」を、いまだに自分がやらなければならない現実への危機感も、玉三郎にはあるだろう。「次」が育たない。自分を抜いてくれる者の登場を、この名女形は待っている。

 その「次」の立女形の候補者である菊之助と七之助は、今月は「風の谷のナウシカ」だ。「そんなこと、やってる場合なの?」と玉三郎は思っているような気がする。あくまで私の妄想だが。

(作家・中川右介)