倉本聰が「北の国から」を語る「生活者の目線で”小さなうそ”のない話を」

倉本聰が「北の国から」を語る「生活者の目線で

日本ドラマ史に残る名作「北の国から」(1981~2002年)が、連続ドラマ版からスペシャルドラマ版まで半年以上をかけてBS日本映画専門チャンネルにて完全放送される。

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東京で活躍していた脚本家・倉本聰さんが、本作を書くきっかけとなる北海道へと移住したのは1977年のこと。

「札幌の飲み屋で多種多様な職業の人に話を聞けたのが、僕にとって大収穫。名もない人々の人生に目を開かされた。もう一つ、サブちゃん(北島三郎)との出会い。北海道での彼はすさまじい人気で、その秘密を知りたいと、付け人をさせてもらったの。彼が地べた目線でお客さんに接するのを間近で見て『これだ!』と。生活者の目線でモノを創る大切さに気付かされたんだ。僕は学がないから(笑)、自分でぶつかって試したことだけを信じて書く、そういう人間。だから『北の国から』みたいに、実際に住んでみた者でないと書けない作品を書いたんです」

東京を捨て、故郷・北海道富良野市に移住する黒板五郎(田中邦衛)と、その子供、純(吉岡秀隆)と螢(中嶋朋子)一家の物語はこうして生まれた。

「五郎役には高倉健、緒形拳、西田敏行、中村雅俊といった候補もいたけど、中でも一番情けない感じの邦さんを選んだ。人間の中にある情けなさをどうしても出したかったから。すぐカッコつけちゃう〝青大将〟の演技を捨てて地でやってくれとお願いしたら『じゃ何で俺を選んだんだ』って最初は文句を言ってたけどね」

一家が厳しい自然と向き合い、子供たちが成長していくさまを、物語と同様の年月をかけ、撮影していった。

「(現実には存在しない人物を描くなど)ドラマは大きなうそをつくわけだけれど、小さなうそは、絶対ついちゃいけないんだ。純と螢がカートで石を運ぶ場面では『子役だからって藁でかさ増しをせず、全部本当に運ばせろ』って言ったら、2人は一度に運ぼうと考えてなるべく多く積み始めた。それがリアルなんだよね。また、令子役のいしだあゆみさんは、『4キロの道を歩いてきた設定だから、鼻も赤いだろうし、寒さで震えていなきゃ』と、雪の日のロケの待ち時間も、決してロケバスに入らなかった。そのプロ根性には、現場みんなの士気が上がったなぁ」

倉本さんらが当時とことんこだわったリアリティーが生み出す感動。今こそもう一度、堪能してほしい。

くらもと・そう●1935年生まれ、東京都出身。現在も北海道富良野市在住。「北の国から」の他、「前略おふくろ様」(1975 ~ 1976年)、「拝啓、父上様」(2007年)、「やすらぎの刻~道」(2019年~、テレビ朝日系)などを執筆。

文=magbug HOMINIS