車椅子に乗ったモデルも発売、デビュー60周年の『バービー』が示す多様化社会

引用元:オリコン
車椅子に乗ったモデルも発売、デビュー60周年の『バービー』が示す多様化社会

 ファッションドール『バービー』が今年、デビュー60周年を迎えた(日本では1962年より発売)。Instagramのフォロワー数は150万人以上。世界的スーパースターだが、長年にわたって世代を超えて愛されている理由は、彼女がただのファッションドールではなく、時代とともに多様化する社会の在り方を体現し続けてきたことが大きいと言えるだろう。60周年を迎えた今年は、車いすに乗ったバービーが登場し、バリアフリーのごっこ遊びを子どもたちに提供。改めて、バービーの変遷を振り返るとともに、彼女が果たす役割について考えてみたい。

【写真】義足やぽっちゃり体型など、多様化するバービー(131枚)

◆常に時代を先回りし、性別や人種を超え“なりたい自分”で在り続けてきたバービー

 1959年、ハンドラー夫妻が経営するアメリカの玩具メーカー・マテルから登場した『バービー』。バービーという名前は、夫妻の愛娘であるバーバラの愛称から名付けられている。バーバラの母親で、バービーの“生みの親”であるルース・ハンドラーが、「私のバービーのフィロソフィーは、ドール遊びを通じて小さな女の子は自分のなりたいものに何にだってなれるということ。そして、女性は“選択”ができるという事実を表現していること」と語っているように、創業時からのブランドメッセージは、一貫して「You Can Be Anything(何にだってなれる)」。バービーは女性を取り巻く環境の変化を映しながら、性別や人種を超えて常に“なりたい自分”で在り続けてきた。

 例えば、アメリカでは1972年に教育などでの男女差別が禁止され、女性に平等な権利が与えられたが、バービーはそういった社会問題が表面化する前から、職業やファッションなど時代を超越したドールを数多く展開していた。1965年に登場したのは、宇宙飛行士のバービー。アポロ11号が史上初の有人月面着陸を果たしたのは1969年のことだが、バービーはそれ以前に宇宙に旅立ち、また女性でも宇宙飛行ができるというメッセージをいち早く発信していた。なお、女性の社会進出を象徴するように、アメリカ大統領選にも立候補。1992年~2016年まで、計6体の大統領候補バービーがお目見えしている。

 約3万体のバービーを所有し、世界的なバービーコレクターとして知られる関口泰宏氏は、社会に一石を投じたモデルの1つとして1965年発売のアメリカンバービーを挙げる。「このバービーは、昼は一生懸命仕事をして、夜は恋人のケンと社交界に出かけて思い思いの時間を楽しむ…というストーリーが背景にある一体。60年代は海外も日本も、女性たちがそういった生活を送るケースは少なかったと思いますが、バービーというドールが自立し、開放感のある生活を体現することで、子どもたちに夢や憧れを提供していたのではないかと思います」(関口さん)

 もちろん、「ファッションドールとして日本に与えた影響も大きい」と、関口さん。「バービーは多様性という部分に加え、ファッション面でも年代ごとに時代を先取りしていると思います。例えば、ミニスカートはイギリスのファッションモデル・ツイッギーが広めたものですが、1960年代当時、ミニスカートを履いたバービーももちろん登場していました。バービーを通して『自分もこんな服を着てもいいんだ』、『私もこんなオシャレがしてみたい』といった感情を抱くお子さんは多かったのではないでしょうか。ちなみに、私は特に1970年代のバービーがファッションも含めてお気に入りです」(関口さん)