滝川英治、事故で脊髄損傷。ブログで“自身の厳しい状況”を伝えた理由「不安もあったし怖かった。でも…」

引用元:テレ朝POST
滝川英治、事故で脊髄損傷。ブログで“自身の厳しい状況”を伝えた理由「不安もあったし怖かった。でも…」

長身のイケメン俳優として多くのテレビ、映画、舞台、バラエティーで活躍していた滝川英治さん。

2017年9月15日、ドラマ『弱虫ペダル Season2』(BSスカパー!)の撮影中の事故で脊髄損傷の重傷を負い、事故直後は人工呼吸器と無数の医療機器が取り付けられ、言葉を話すこともできず、首から下が全く動かない。瞬きしかできない状態だったため、「五十音表」を指でたどるご家族に瞬きで合図して、意思を伝えていたと話す。

絶望に打ちひしがれ、一時は「死」をも覚悟したというが、1年以上にも及ぶ入院生活で過酷なリハビリに励み、電動車イスを操作できるまで回復して退院。現在も懸命なリハビリを続けながら、前向きに生きる姿をブログやツイッターで発信し続けている。 滝川英治、事故で脊髄損傷。ブログで“自身の厳しい状況”を伝えた理由「不安もあったし怖かった。でも…」 事故直後は、言葉を話すこともできず、首から下が全く動かない状態だった。

◆ブログで事実を伝えた理由は…

事故からおよそ5カ月後、2月25日に滝川さんは自身の厳しい状況を初めてブログで打ち明ける。

「事故から3カ月ぐらい経った頃からブログを再開して、入院してリハビリをしていることは書いていましたが、詳しい状況には触れていませんでした。僕は最初からありのままの状態を書きたかったんですけど、母親とか姉は、あまりそういう内部事情を話すのはどうかという考えだったので、家族内でのいろいろな話し合いがありました」

-ご自身でもかなり悩まれたと思いますが-

「不安もありましたし、怖かったです。『多くの人を悲しませてしまうんじゃないか』、『関係者の方々にもご迷惑がかかるんじゃないか』って。

でも僕は、常々病気やケガ、そしてさまざまな困難でつらい思いをしている人たちと『一緒に闘おう!』と言ってきましたし、実際にリハビリ病院で一緒に励まし合いながら一日一日を過ごしていくことが、どれだけの力になるかを体感してきました。

だからこそ、あいまいな表現ではなく、自分の状況、脊髄損傷した人間の現実を知ってほしいと思ったんです」

-強いですね-

「いやあ、強くはないです。心が折れそうになったこともありますよ。ずっと芝居しかして来なかったですから、ほかのことなんて考えられなくて。『そんなにすぐに前を向けるもののなのか?自分は前を向けているのか?』って。

でも、『自分は今、生きている。この生かされた命、自分だからできることがあるんじゃないか』って自問自答しているうちに生きる勇気が湧いてきたんです。

そして泣きじゃくっている母に『笑おう、奇跡を起こすぜ、俺は』って言いました。親にはずっと心配と迷惑をかけてきましたからね。そんな状態で親を残していくわけにはいかない。しっかりと過去と現実と向き合いながら、事実を伝えようと思いました」

-お父様は何とおっしゃっていたんですか-

「父は『英治のやりたいように』っていつも言っていました。

芸能界に入るときも母は基本的に保守的な人だからあまり賛成じゃなくて、もっと安定した仕事を望んでいましたけど、父は『英治がやりたいことを見つけたなら納得するまで全力でやったらいい』と自主性を重んじてくれました。

両極端な両親だけど、二人ともいつも僕のことを第一に考えての意見をくれると思っているので、うれしいですね」

-滝川さんはお父様と似ていますか-

「よく母親似だとは言われるんですけれども、昔、父が生後間もない頃の僕を抱っこしている写真を見たことがあるんです。まだスリムで30代だったのかな?若い頃は柔道をやっていたので筋肉質で。すごい男らしさを感じたし、カッコ良かったですね」

-お父様は滝川さんがけがをされてからも前向きに色々と発信し続けていることについて何かおっしゃっていました?-

「父は昔気質(むかしかたぎ)の人というか、基本的には寡黙な人です。よく電話で話をしていたんですけど、そのときも『お前がやりたいことを好きにやればいい』って。

僕が『父さんの方はどう?パールのこと世話してもらってごめんね』と言うと、『わしのことはいいからお前は自分のことだけを考えていればいいんだ』っていう言葉を何度聞かされたことか。

あるとき、看護師さんから『滝川と名乗る人が来てるんですけど』って言われて。最初は誰か部外者が勝手に入ってきちゃったのかなって思ったんですよ(笑)。

そうしたら父親で、何の連絡もなく母にも言わずに(実家のある大阪から東京にある)僕の病院にふらっとコンビニにでも行くようなスタイルで来たことがあったんですよ。『たまたま今日ちょっと時間ができたから来た』って。自分の体もかなりきつかったはずなのに。

でも、病室に来ても特に父の方からこれといった話をしてこないんですよ(笑)。父らしいというか…結局1時間程で帰りました。

そのときに病室で二人で撮った写真が最後の一枚になりました。僕が笑顔で、父が哀しそうな顔で写っているのが印象的なんです。まだ現実を受け入れたくない父が素直に写し出された一枚だったんじゃないかな。

父は僕が退院して10日後に亡くなったんですけど、母は僕の看病で東京に来ていました。

僕が退院の報告をブログに載せた1時間後、母の携帯に父が突然倒れたという電話がかかってきたんです。心筋梗塞でした。僕は初めて、自分の動かないからだを悔いました」