追悼・梅宮辰夫さん 心残りは病と闘う夫人とアンナの再婚

追悼・梅宮辰夫さん 心残りは病と闘う夫人とアンナの再婚

【芸能界クロスロード】

 俳優・梅宮辰夫さんが亡くなった(享年81)。多くの人から親しまれ、多くの人を愛した人だった。とりわけ家族愛は人一倍強かった。最初にそんな光景を目撃したのは父と一人娘の梅宮アンナ(47)のツーショットだった。ホテルで行われたパーティーに颯爽と現れた梅宮さんと談笑しながら隣にいたのはスタイル抜群のセクシーな美女。若い愛人(?)と勘違いする人もいたのが、モデルを始めた頃の高校生のアンナだった。父は知人に「うちの娘です。よろしく」と紹介して歩いていた。

 アンナは大手事務所に所属。父親の手を借りることなくモデルからタレントとして活躍していった。その後、すっかり父親の影も薄れていた。それが突如、父親がメディアの前に登場するようになったのがアンナと羽賀研二(敬称略)の熱愛だった。アンナは「私、理想はパパみたいな人」と聞いていただけに、当時の羽賀は理想のタイプに見えた。父に似て正直で隠し事のできないアンナは恋愛も堂々としていた。羽賀の浮気に金銭問題など数々のトラブルが発覚してもアンナは対応した。娘の危機に応援に現れたのが父親。当初はそんな構図にも見えた。

 ヤクザ映画のイメージの強い梅宮さんが娘のために体を張る。くだんのパーティーの光景を思い出せばうなずけた。画面の中の梅宮さんではなく、娘を心配する父親の顔だった。対応も素晴らしかった。どんな取材にも対面。決して嘘もゴマカシもない言葉。メディアも分け隔てなく、連日のように報道される。付いた愛称が「アンナパパ」。世間から「親バカ」と言われようと貫く姿勢はいつしかヤクザ映画を知らない主婦層にも親しまれる存在になっていた。

 2人は破局したが、これほど別れの理由が分かりやすいカップルはいない。喜怒哀楽のはっきりしている梅宮さんは「希代の悪」と言い放った言葉は心の底からの声だった。

 破局から2年。自称実業家のA氏とアンナはデキ婚。長女・百々果(17)が誕生。初孫も誕生して梅宮家に春が来た充実した時間だったのも束の間、結婚生活はわずか1年8カ月で破綻を迎える。

 取材メモをひもとく――。

 きっかけは結婚後にアンナが知る夫の素性の数々だった。とりわけ、実業家はただの飲食店従業員だったことを知らされ、結婚後は無職だったA氏。アンナは離婚を決意したが、待ったをかけたのが辰夫さんだった。

「羽賀に続いてまた俺に恥をかかせるのか。Aの仕事のことは俺が面倒見るから離婚はダメだ」というのが理由だった。実際、辰夫さんは娘婿のために知人を頼り就職活動に奔走したこともあった。

 一方、アンナは事務所幹部や親しい人に相談。「別れるなら子供が小さいうち」と離婚賛成派が多数。離婚の決意を固くしていた。夫婦仲の危機はやがてメディアに報道され、父親の元に取材が殺到。窮地に立たされた。最終的には辰夫さんも離婚を押すようになったと聞く。

 離婚から半年ぐらい経った頃だった。A氏が雇われ店長だった都内の違法カジノ店が警察に摘発され逮捕された。新聞には「アンナの元夫」と小さな記事でとどまった。

 愛する家族に見守られ素晴らしい人生を全うした梅宮さん。心残りは病と闘う夫人と「早く再婚を」と願っていたアンナのことだろう。

(二田一比古/ジャーナリスト)