ナイツ塙も評価!漫才協会チャンピオン「母心」が抱く、福島への“恩返し”の思い

引用元:スポーツ報知
ナイツ塙も評価!漫才協会チャンピオン「母心」が抱く、福島への“恩返し”の思い

 漫才協会(青空球児会長)から期待の新星が誕生した。11月30日に行われた「第50回漫才大会」王座決定戦(浅草公会堂)で、結成12年目のお笑いコンビ・母心(ははごころ)が初代王座に輝いた。青空球児・好児、ナイツ、U字工事ら、ベテランから若手まで計54組が出場する中、ガチンコ勝負で頂点に輝いた。縁もゆかりもない福島で芸能活動をスタートし、栄冠をつかんだ「母心」が福島への恩返しの思いと、今後の夢を語った。(高柳 義人)

 若手もベテランも関係なく、持ち時間3分厳守の王座決定戦。漫才協会として初の試みを制したのは、ボケ・嶋川武秀(41)、ツッコミ・関あつし(40)の「母心」だった。

 3つのブロックの勝者が決勝戦を行うスタイル。もしもタクシー運転手が歌舞伎役者だったらという定番ネタで会場を爆笑させた。嶋川は「絶対、出来レースだと思った。決戦があるのも当日知ったくらい」。無欲で臨み栄冠をつかんだ。関は「お客さんの投票で優勝できたのがうれしい。みんな納得できるし自信になる」と驚き、そして喜んだ。

 2人の芸人としての原点は地元でもない福島だった。吉本興業の東京NSC8期生の嶋川は、卒業後に同期らと芝居一座を組み福島に住み込んで活動した。関はスカウトされ加入。メンバー12人で連日舞台を務めた。営業、宣伝も役割分担してすべて自力。お笑い不毛の地で文字通りゼロからスタートした。県内の59市町村へ電話をかけお祭りのゲストにと売り込むなど地道な活動を行った。徐々に地元テレビ局へ出演し始めたころ、吉本から方針変更で帰京指令が出た。

 「私は、いの一番で帰ろうと思った」という嶋川を引き留めたのは関だった。「人生どっちが面白いだろう?。ここで独立したら面白いんじゃない?」。関の言葉に嶋川は翻意した。「『福島から売れます』と言った僕らを応援してくれた人を裏切ることになる」

 吉本を辞め福島に残り独立し、コンビを結成。関のアイデアで、嶋川が着物姿の女装で“おかん”に変身した。渋る嶋川を関が必死に説き伏せて実現した“おかんキャラ”がアイコンとなり、福島で人気を博した。

 転機は東日本大震災だった。全国から売れっ子芸人が被災地に慰問に訪れ、笑いを届けていた。喜ぶ人々の表情に驚いた。「僕らでも喜んでくれているけれど、有名な人にはかなわない。僕らも全国的に有名になることが福島への恩返しだと思った」(嶋川)。12年に漫才協会に加入し、浅草・東洋館で腕を磨いた。

 14年に漫才新人大賞を受賞。プレゼンターだったビートたけし(72)は、おかん・嶋川に言った。「兄ちゃん、この格好もいいけど、男でやって勝負して、最終的にこのキャラが出たら誰も勝てないと思う」。その一言でこだわっていた“おかん”封印を決めた。「キャラクター一辺倒でしかやっていなかったから、“男”で漫才が出来なかった。(今回は)男で漫才をやってウケているのがメチャクチャうれしい」と嶋川は言った。

 王座決定戦に優勝し反響の大きさに戸惑った。特に福島では、街行く人から祝福された。「色んな人から連絡があってビックリ」と関が語れば、嶋川も「(福島の人は)本当に面白くないヨレヨレの時から見てくれているし、喜んでくれているのがうれしい」と笑顔を見せた。

 ネタ作りは関が担当する。「10年後の50歳でも漫才をして食えていたい」。夢は寄席でトリを取ること。嶋川は「最近、いい言葉を見つけたんです。『残れる人は強い人、賢い人じゃなくて、変化に適用できる人だ』と…」。その横で関は苦笑いした。「嶋川さんはビックリするくらい意見が変わる。ここまでぶれる人はいない。でもそこがいいのかもしれない」。性格の違う2人が同じ目標のために切磋琢磨(せっさたくま)していく。

 ナイツ・塙宣之「3分くらいのネタだと、『母心』みたいに歌舞伎ネタのように一つの型があると強いんですよ。課題を挙げるとすれば、15分くらいの時に途中で勢いがなくなっちゃうところですかね。でも一つの型があるから大崩れしない。技術とか声とか見やすさとか舞台の使い方とか、僕らより武器があるし、総合的にトップクラス。期待の後輩ですね。弱点はうますぎちゃうところ、ツッコミの関くんが器用すぎちゃうので…。これからテレビに出て欲しい芸人ですね」

 ◆母心 富山・高岡出身の嶋川武秀と茨城・日立出身の関あつしのコンビで2008年1月に結成。2人は2002年に吉本興業の芝居一座「★☆☆(ほしの)弁当座」の一員として、地方巡業を行い、06年に福島へ。08年1月に吉本興業を辞め独立し「みちのくボンバーズ」を結成し、メンバー内でコンビを組んだ。12年1月に漫才協会に加入。同年、花形演芸大賞銀賞受賞。14年に漫才新人大賞受賞。

報知新聞社