爆発して、笑って、食べて、うんちになる『Wattam』レビュー

引用元:IGN JAPAN
爆発して、笑って、食べて、うんちになる『Wattam』レビュー

だいじろうという名前の電話は太陽に受話器をとられて大泣きしている。大変だ。みんなで助けてあげないと。うんちたちは太陽から受話器を奪還すべく、お互いの頭の上に登った。でも、遠すぎ、無理っぽい。あきらめようとしたちょうどそのとき、さやかという風船がやってきた。
「あの、すいません」とうんちたちはさやかに話しかけた。
太陽から受話器を取り返してきてくれないか、と。困ったことに、さやかは高所恐怖症らしい。ひとりではとてもそんな遠いところまで行けない。でも力を合わせれば大丈夫。ゆうじという黄金のうんちはさやかに掴まり、一緒に太陽の元へと飛んでいった。
『Wattam』はそんなゲームだ。
いろんなキャラクターに憑依して、不思議なセンスのクエストを攻略していくわけだ。

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本作の舞台は「すべて」がなくなった世界で、残っているのはいかにもそれらしい帽子をかぶった町長だけだ。大きな石の上に座って、とても寂しそう。
そこで、突然、まさひこという小さな石が現れて、「つかまえてみて!」と言うので鬼ごっこが始まった。町長はあいさつをして帽子をとって軽く頭を下げた。すると、帽子の下から爆弾が落っこちてくるではないか。町長と石は突き上げられた花火のように空を舞い、また地面に転がり落ちると楽しそうに笑っていた。
このように、本作はわけのわからないゲームである。だが、そこがいい。
例えば、町長が石と楽しそうに遊んでいると、しばらくして太陽が帰ってきて、明るくなった。これまでに町長たちを照らしてきたスポットライトはもういらない。スポットライトは姿を消す前に、泣きながらオプション画面の開き方を教えてくれた。ゲームでスポットライトからチュートリアルを受けたことはないし、しかも泣きながらという奇抜な設定である。
スポットライトが消えると、町長たちも寂しそうおにしていた。でも『Wattam』における別れは、次の出会いにつながる。出会いと別れが連動することで、どんどん豊かなゲームになっていく。
例えば、たかしという美味しそうなお肉がその辺を走り回っていれば、ざぶろうという口がやってきて、「口の本能」を発揮してたかしを食べてしまうだろう。ざぶろうが欲の塊のような声を出しながら、必死に獲物を捉えようとして、たかしを呑み込んでしまうと、今度はうんちをした。うんちを操作できるようになった。やったね。
いろんなキャラクターを食べ尽くしたざぶろうが、大量のうんちを残したので、次はトイレさんがうんちを流すためにやってきた。たまに間違えて、ミルク瓶や町長を流してしまうこともあるけど、問題ない。
このように、肉→口→うんち→トイレと繋がっていく『Wattam』は、意外にもしっかりした論理に基づくゲームなのかもしれない――少なくとも部分的には。

何もかもがなくなった世界のすべて(草刈り機とか雪だるまとか)を取り戻していく過程は常に滑稽さに満ちている。しようと思えば、そこに込められたメッセージを読み解いていくこともできるけど、僕はその気になれない。教訓を理解することよりも、ただ騒いでいる方が楽しい。幸い、開発陣もメッセージをしつこく押し付けようとしてこない。明るいビジュアルと音楽、楽しそうな笑いや騒いでいる声。遊び場としての雰囲気は満点なので、かたいこと言わずに遊ぼうよ!
『Wattam』の最高の部分は、ディレクターの高橋慶太のアブストラクトなユーモアセンスで、最初の1時間はとにかくその虜になってしまった。あるときはイクラの軍艦として木登りをしているのかもしれないし、次の瞬間はテーブルになって大空を泳いでいる。本作はいわゆる現代アートに最も近い、極めて抽象的なビデオゲームだが、不思議と奇をてらっているように感じることはほとんどない。

『Wattam』では季節が島になっている 。 1つの季節でのミッションが終わると、次の季節へ移動できるようになる 。 まるでヨーロッパ人がかつて船でアメリカへ集団移民したように、町長やトイレに鼻や口、うんちたちなどが大きなテーブルに乗って夏へと向かう 。 夏ではまた違う存在との出会いがあるし、新しい冒険が待っている 。 日本語、英語、ロシア語、韓国語、島(季節)ごとに使われる言語も違う 。 鼻と回転寿司の異文化コミュニケーションがシミュレートされたゲームは、たぶん他にない 。