夜の帝王から良きパパに 釣りと料理とアンナを愛した…梅宮辰夫さん評伝

引用元:スポーツ報知

 12日に亡くなった梅宮辰夫さんは、若い頃は公私ともにプレーボーイとして名をはせたが、90年代は長女・梅宮アンナの交際問題で連日、ワイドショーの標的となり注目を集めた。

 通称・夜の帝王―。晩年の姿からは想像もつかないが、梅宮さんは30代半ばまで、プレーボーイでならしていた。

 日大法学部在学中の58年、知人の勧めで東映ニューフェイスに応募し合格。東映から鶴田浩二さん、高倉健さんに次ぐ第3のエースとして期待され、59年の映画デビュー後、次々と作品に出演した。人気が出るにつれ連日、銀座のクラブを飲み歩くなど、豪快な私生活も話題となった。

 当初は硬派な役柄が多かったが、東映の岡田茂プロデューサー(後の名誉会長、故人)は私生活に近いプレーボーイ役を演じさせるように。悪事に手を染める不良役などを演じた「夜の青春シリーズ」「不良番長シリーズ」「帝王シリーズ」は思惑通りにヒットし、人気も不動のものとなった。私生活では68年に銀座のホステスと結婚したが、半年で離婚した。転機は72年。クラウディアさんとの再婚と長女・アンナの誕生だ。撮影現場でアンナのおむつを交換し、監督から「役柄と違いすぎる」と怒られるほど溺愛。夜の帝王のイメージは消え、家庭的なパパの姿が目立つようになった。

 だが、90年代は、アンナの交際問題に苦悩する。94年にアンナが当時タレントだった羽賀研二氏と交際を始めると、梅宮さんは「(羽賀氏は)かなり汚れている」と羽賀氏の女性問題などに触れ公然と反対。一方、アンナは羽賀氏の肩を持ち、ペアヌード写真集も発売するなど交際を続け、親子の“対立”は格好のワイドショーネタになった。99年に破局するまで、何かある度に連日、都内の自宅前への取材攻勢にさらされたが、梅宮さんは逃げずに丁寧に対応し続けた。

 07年に羽賀氏が恐喝事件で逮捕されると、梅宮さんは羽賀氏を「希代のワル」と痛烈に批判。梅宮さんの「人を見る目」は正しかったと、大きな話題になった。

 撮影現場で魚をさばき、料理を振る舞うなど、釣りと料理が好きなことでも知られ、85~87年にはフジテレビ系「くいしん坊!万才」に出演。94年には同局系「料理の鉄人」に芸能人として初めて鉄人に挑んだ(結果は敗退)。2001年に愛車のベンツが盗難された際には「ベンツはいいから(包丁などが入った)料理ボックスを返してくれ」と訴えていた。89年には漬物「辰ちゃん漬」を約100店舗にチェーン展開したほか、コロッケ店「梅辰亭」などの事業も展開した。

 “終(つい)のすみか”には神奈川・真鶴町にある別荘を選んだ。人生の最後のひとときを愛妻と大好きな海の近くで過ごした。

報知新聞社