「木綿のハンカチーフ」もデラックス化 太田裕美、デビュー記念日の11・1「ヒロミ☆デラックス」発売

引用元:スポーツ報知

 歌手の太田裕美(64)が、デビュー記念日の11月1日に45周年記念アルバム「ヒロミ☆デラックス」を発売した。代表曲「木綿のハンカチーフ」のセルフカバー、ヒャダイン(39)のプロデュース曲「ステキのキセキ」など12曲収録、「歩いてきた軌跡を詰め込んだ」という豪華盤だ。新曲「桜月夜」や45周年を迎えた心境を告白。9月に乳がんを公表したが、現在の病状についても語った。(加茂 伸太郎)

 柔和なまなざしと、優しいほほ笑み。デビュー45周年を迎え、その表情は充実感に満ちていた。

 太田は「今年も自然災害が多かったけど、いつ何時、何が起こるか分からない時代。ここで(人生が)終わっても悔やまないように、いい人生だったなと思えるように。そうやって生きていきたいし、歌っていきたい」と未来を見据えた。

 「まごころ弾き語り」のキャッチフレーズで、74年にシングル「雨だれ」でデビュー。アルバム「心が風邪をひいた日」からシングルカットされた「木綿のハンカチーフ」や、「赤いハイヒール」「九月の雨」などの名曲を歌ったが、その多くが作詞・松本隆(70)、作曲・筒美京平(79)、編曲・萩田光雄(73)の“ゴールデントリオ”によるものだった。「デビュー曲で3人とご一緒できたのは、私の中で“奇跡の始まり”だった気がします。素晴らしいスタッフに恵まれて、45周年の『今』があるんだなと感じています」

 当時を振り返り「筒美先生以外は私を含め、みんな新人みたいな感じでスタートした」と懐かしむ。筒美はすでに、いしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」、尾崎紀世彦「また逢う日まで」など大ヒット曲を送り出していたが、伝説のロックバンド「はっぴいえんど」を解散したばかりの松本も萩田も駆け出しの時代。「筒美先生は大作曲家で、『どんな曲を書いてくれるだろう』と畏れ多かった。松本さんは新人の作詞家さん。今は『先生』『先生』と言われるけど、(当時の感覚で)『松本さん』と呼ぶのは私ぐらいかな」

 代名詞とも言える「木綿のハンカチーフ」。当初予定になかったが、アルバムの制作過程で、スタッフ陣から「いい曲だから、シングルで出した方がいいんじゃないか?」という声が上がり、シングル化が決定。歌詞の一部とアレンジを変え、レコーディングし直した“勝負曲”だった。

 発売から44年がたつが、色あせない名曲だ。テレビ、ラジオ全盛の時代にあって「全国津々浦々、老若男女の方が聴いてくださった。ロングランで半年近くヒットしたと思う」。うれしさの反面、曲のイメージが強くなりすぎ、「太田裕美=木綿のハンカチーフ」を払拭するのに苦労した。「新しい曲はもっといい歌ですと言って出しても…。若気の至りもあったと思うんですが、生意気にも『もっといい曲がある!』と、当時は反抗したこともありました」

 82年に8か月間、米ニューヨークに留学。桜祭りで、現地の日本人から掛けられた言葉は「『木綿のハンカチーフ』の方ですよね」。帰国後に結婚、子育てを経て音楽活動を再開した時も「『木綿のハンカチーフ』の太田裕美さんですよね」と声を掛けられた。「自分の知らないところでこの曲が育ち、みんなの曲になっていた。最近は、若い歌手の方たちもカバーしてくださる。そういう歌の存在があるのは幸せなことだと思います」。45周年記念盤では「高嶋ちさ子 ピアノクインテット」の演奏に合わせ新たに録音。壮大な楽曲にパワーアップした。

 今作には、自身が作詞・作曲した新曲「桜月夜」を収録したが、生みの苦しみがあった。ピアノに向かうが、「どうしよう」という思いばかり。煮詰まった時に目にしたのが、横綱・稀勢の里(現・荒磯親方)の引退会見だった。歌い出しの「後悔はないと こぼした涙」という歌詞は、ここからインスピレーションを得たもの。「『土俵人生に一片の悔いもございません』と、大粒の涙をこぼされていた。後悔していないと流す涙に、心の奥底のつらさを感じてしまった」

 歌詞には「忘れないで 胸の奥の 希望の光は 灯(とも)っているわ その手の中 溢(あふ)れる未来 掴(つか)むのは 信じる力」など前向きな言葉が並ぶ。「まだやれるんだと、そういうチャレンジができた。キーで言えば、上から下まで使えるギリギリを歌った曲。自分自身が『変わるチャンス』をもらえた」

 9月に乳がんを公表。治療しながら音楽活動を続ける選択をした。「体の丈夫さだけがウリだったので、青天の霹靂(へきれき)でした。自分が一番ビックリしています」。7月に手術を行い、8月から抗がん剤治療に入った。「いろいろな副作用があるけど、薬が良くなったので対処できるようになった。上手に付き合いながら、今までの生活をキープしていきたい」

 公表後、ブログやツイッターにはたくさんの激励のコメントが届いた。たくさんの手紙も送られてきた。「勇気づけられた」「共に闘っていこう」。一つひとつの言葉が染みた。「病気になるのはつらいし、治療も簡単ではない。でも、生きていれば、つらいことも悲しいことも起こる。その時に下を向いていたら、どん底に落ちていくだけ。上を向くのか、前を向くのか、それとも下を向くのか。これからどう生きていくか、が大事になってくるんです」

 気持ちを奮い立たせることができたのは、歌の存在があったから。穏やかな口調にも、太田の強い決意がみなぎる。「このお仕事を通じて(自分自身が)音楽療法をやっているようなもの。本当に幸運なことです。コンサートに来てくださった方が、『楽しかった』『時間を忘れて元気が出た』と気持ちを高揚させて、幸せを感じて帰ってくださったらいいな。これからも大切に歌い続けていきたいです」

 ◆ヒャダインと「新鮮」コラボ  同アルバムには、ヒャダインのプロデュース曲「ステキのキセキ」「たゆたうもの」が収録された。17年のテレビ番組「名盤ドキュメント」をきっかけに交流。「私たちよりも下の世代。若い感覚があって、現役の音楽家。その方と合体したらどんな楽曲が出来上がるんだろう、という感じでお願いした」と説明。「新鮮で、躍動感がある音楽ができた。いくつになっても、やりたいこと、希望を持てたら気持ちの面では衰えない。ご一緒できて良かった」と感謝した。

 ◆太田 裕美(おおた・ひろみ)1955年1月20日、東京都生まれ。64歳。上野学園声楽科卒。74年「雨だれ」でデビュー。76年NHK紅白歌合戦に初出場(80年まで5年連続)。2004年から「なごみーず(伊勢正三、大野真澄、太田)」のライブは200回超。庄野真代、渡辺真知子との「オーケストラで歌う青春ポップスコンサート」も好評。17年NHK連続テレビ小説「ひよっこ」の劇中歌「恋のうた」で話題に。85年音楽プロデューサーと結婚し、2男をもうける。

報知新聞社