志村けんさん たけしと交わした熱いお笑い論

引用元:東スポWeb
志村けんさん たけしと交わした熱いお笑い論

 日本を代表するコント王・志村けんさんの急逝で、日本中がその存在感の大きさを改めて実感している。志村さんは一度だけ、ビートたけし本紙客員編集長が審査委員長を務める本社制定の「東京スポーツ映画大賞」を受賞したことがある。この時、たけしとお笑いについて本紙で激論を交わしたことも。希代の大物コメディアンが語った秘話を公開する――。

 29日午後11時10分、新型コロナウイルスによる肺炎で志村さんは亡くなった。

 今月17日に全身の倦怠感を訴え、20日に自宅に来た訪問医の勧めで東京・港区の病院に搬送。23日に新型コロナウイルス検査で陽性反応が出た。

 一斉報道されたのは25日。その時点で一部では、「峠は越えた」や「意識はある」とも伝えられたが、実際は予断の許さない状況で、29日夜に帰らぬ人となってしまった。

 30日にスタートしたNHK連続テレビ小説「エール」にも作曲家・小山田耕三役で出演。今月6日には撮影にも臨んでいた。一方、今年12月公開予定だった主演映画「キネマの神様」(山田洋次監督)のクランクインも4月に控えていたが、26日に出演を辞退していた。

 レギュラー番組の「天才!志村どうぶつ園」(日本テレビ系)、年3回ほどの特別番組「志村けんのバカ殿様」(フジテレビ系)でも知られ、日本中の老若男女から親しまれていた志村さんは、「東京スポーツ映画大賞」の受賞者に一度だけ名を連ねたことがある。たけしが「コントを追究し続ける男」と評価し、特別賞に選んだ第6回(1997年)だ。

 かつては「8時だョ!全員集合」(TBS系)、「オレたちひょうきん族」(フジテレビ系)が土曜8時の枠で放送されていたためライバル関係にあった、2人の対談も実現した。とても20年以上前の対談とは思えないほど、現在のお笑い界の状況にも当てはまる“金言”だ。

 たけしが「本当のお笑いの人はいなくなった。やってるのはクイズのパネラーばかりで、気の利いたことを言えばいいっていう、芸人じゃないのが多すぎる。漫才やコントをちゃんと作る番組を作んなきゃダメだな」と嘆くと、志村さんはこう返した。

「みんなファンの対象が中高生になってしまってる。若手はお客さんの前で少なくとも5分はコントをやらなきゃ」

 受賞インタビューで志村さんは“コント王”として、笑いへの信念も語った。

 当時のバラエティー番組はクイズ全盛期だったが「しっかりしたコントを育てる番組があれば、と思う。最近つまらないのは放送翌日、見た人が話題にすらしない番組が多すぎること。ゲームやクイズをやって、数字が良ければいいというものでもない。翌日、思い出してクスッと笑ってもらえるようなものがいいね」と持論も明かした。

「バカ殿」「変なおじさん」「ひとみバアさん」など演じるキャラクターは200以上。これには「唯一こだわっているのは、自分が笑われること。人を批判する芸でもなくて、人を介しての笑いでもなくて、自分が笑われることが第一」という信念があった。

 数多くのギャグを生み出したが「関西の芸人さんがやるような、ひと言ワーッとやるのではなく、俺はある程度、起承転結があって重なっていかないとギャグじゃないと思っている」とも。

 たけしが選んでくれた賞をことさら喜び、当時存命だった母・和子さん(2015年没)との電話でのやりとりもこう明かした。

「お前、何か賞もらったんだって?」

「たけしさんがくれたんだよ」

「よかったね。それだけ言おうと思って」

「でも、東スポって俺が死んだって最初にでっかく書いた新聞なんだよ」

 96年ごろ流布した自身の死亡説をもさらりと笑いに変えた。70歳になっても少年のようないたずら心を忘れない大物だった。