矜持に反し文書改ざん赤木さんの遺志は黒塗りできない

引用元:日刊スポーツ
矜持に反し文書改ざん赤木さんの遺志は黒塗りできない

森友学園問題の取材を続ける中、「黒塗り」だらけを直接、目にしたのは2度目でした。

大阪市の学校法人「森友学園」の国有地売却問題を担当し、その後自殺した財務省近畿財務局の赤木俊夫さん(当時54)が、佐川宣寿(のぶひさ)元国税庁長官(62)の指示で決裁文書改ざんを強制されたなどとして、赤木さんの妻が、国と佐川氏に計約1億1000万円の損害賠償を求めて大阪地裁に提訴しました。

大阪市内で行われた提訴後の会見では訴状と、命令に逆らえず改ざんに加担させられた経緯を詳細につづった赤木さんの手記、赤木さんの公務災害認定に財務省が人事院に提出した文書が公開されました。

なぜ夫は自ら命を絶たなくてはならなかったのか-。妻側は自殺の経緯を知るため、国に情報公開請求を行いましたが、人事院から開示された公務災害認定に関する70ページ資料はほとんどが「黒塗り」でした。 会見で、代理人の生越照幸弁護士は過剰なまでの黒塗りについて「一般労働者の労災は、発言者は隠すが、大枠のストーリーは出る。ここまで真っ黒はひどい」と語気を強めました。

同じく代理人で、これまで過労死裁判に一貫して関わってきた松丸正弁護士は「『機密性2』と記載されており、これは行政に支障が生じるという意味。しかし、地方公務員、国家公務員なども含め、ここまで徹底しているケースは初めて見る。遺族にも黒塗りというのは私も初めて。理由さえ教えてくれない。遺族にとっては、2度殺されたに等しい」。

森友問題が17年、国会で追及されるさなか、赤木さんは決裁文書から安倍昭恵首相夫人や政治家らの関与を示す部分の削除など改ざん作業を強制され、長時間労働や連続勤務で心理的負荷が過度に蓄積。同年7月、うつ病と診断され、仕事に行けなくなりました。「玄関の外に検察がいる」「僕は犯罪者や」などと繰り返し、18年3月に自ら命を絶ちました。

うつ病による自殺は、公務上の災害に認定されたものの、公表された文書は、大半が黒塗り。発病の理由や自殺の理由の箇所とみられる部分は、真っ黒でした。

森友学園が小学校用地として大阪府豊中市の国有地を格安で取得した問題が発覚するきっかけとなったのも「黒塗り」だらけでした。地元の豊中市の木村真市議(55)が情報公開請求した問題の土地の公文書は「黒塗り」だらけでした。

16年9月に木村氏が問題の土地の「売買契約書」の情報公開請求をすると、買受人として森友学園の名義はありましたが「売買代金などは真っ黒け」。近畿財務局が売却額などを非公表としたからでした。17年2月、木村市議は非公表とした近畿財務局の決定の取り消しを求めて大阪地裁に提訴。この取引の不透明さが報道されると、近畿財務局は一転、金額を公表しました。

木村氏が提訴した同じ時期の17年2月、赤木さんは、近畿財務局の上司に呼び出され、大阪府豊中市の国有地を約8億2000万円値引きして森友学園に売却した取引の経緯を記した公文書から、学園側を優遇した記載を削除するなどの改ざんを指示されています。赤木さんは強く抵抗しましたが、やむを得ず従い、その後も改ざんを強要されました。

赤木さんは「僕の契約相手は国民」が口癖でした。岡山県で生まれ育ち、高校卒業後に旧国鉄に就職。国鉄の民営化を機に、当時の大蔵省にノンキャリアとして採用されました。音楽家の坂本龍一が大好き。自宅には何本もの筆があり、書道はプロ級の腕前だったそうです。

手記では「抵抗したとはいえ、関わった者としての責任をどうとるか」と記していました。会見の際、机に赤木さんの読んでいた書籍が置かれていました。そのうちの1冊が「折れそうな心の鍛え方」(日垣隆著・幻冬舎新書)。本にはたくさんの付箋が貼られていました。心が折れそうなとき、何度も読み返していたのかもしれません。

自殺直前、ノートに書き残した文章があります。

「最後は下部がしっぽを切られる。なんて世の中だ、手がふるえる、恐い 命 大切な命 終止府」(原文ママ)。

公務員としての矜持(きょうじ)を持ちながら仕事に向き合っていた赤木さん。死をもって抵抗し、守り訴えようとしたのは何だったのか。

「黒」と言えば、裏で悪だくみするのが「黒幕」。陰険で意地の悪い人のことを「腹黒い」。公文書であっても、都合の悪いことは隠蔽(いんぺい)し、黒く塗りつぶす。

ただ、どれだけ悪だくみをしたとしても、赤木さんの「真実の言葉」だけは黒く塗りつぶすことはできません。【松浦隆司】(ニッカンスポーツ・コム/コラム「ナニワのベテラン走る~ミナミヘキタヘ」)