サエキけんぞうさん プロ級のコース料理を振る舞ってくれた加藤和彦さんとの思い出

サエキけんぞうさん プロ級のコース料理を振る舞ってくれた加藤和彦さんとの思い出

【私の秘蔵写真】

 サエキけんぞうさん(ミュージシャン・61歳)

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 1980年代のテクノブームでブレークしたバンド・パール兄弟のサエキけんぞうさん。秘蔵写真は2009年に亡くなった加藤和彦さんとのレコーディングスタジオでのスナップ。サエキさんの作詞に目をとめて、仕事をともにした加藤さんは料理上手な面もあり……。

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 写真は06年の夏。今はなくなっちゃった河口湖にあるスタジオです。

 小学生の頃に「帰って来たヨッパライ」で一世を風靡した、ザ・フォーク・クルセダーズ(65~68年)をすごく聴いていて、その流れでサディスティック・ミカ・バンド(71~75年)も聴き、コンサートにも行っていたんです。

 初めて加藤さんにお会いしたのはそのミカ・バンドが桐島かれんさんのボーカルで最初の再結成をされた89年。僕がパール兄弟で活動しながら、小泉今日子やジュリー、うしろ髪ひかれ隊などに詞を提供していた頃です。

■安井かずみの紹介で…

 加藤さんはそれまでは作詞家で歌手の安井かずみさんとしか曲を作らなかったけど、その安井さんが加藤さんを紹介してくれてお会いしました。

 加藤さんは僕の詞に注目してくれていたみたいで、「なかなかいい詞を書くジャン」と、認めてくれて(笑い)。

 再結成のミカ・バンドに僕の詞は2つ採用してくれました。

 加藤さんはプロデューサー業が中心で、僕に作詞の仕事を振ってくれたり、加藤さんプロデュースの仕事をたくさんさせてもらいました。子供の頃からテレビで見ていたのと同じくやさしい感じでやわらかい方でした。 サエキけんぞうさん プロ級のコース料理を振る舞ってくれた加藤和彦さんとの思い出 ミュージシャンのサエキけんぞう(C)日刊ゲンダイ

人生で一番おいしかった肉料理

 写真はミカ・バンド2度目の再結成となる06年のものですが、また詞を採用され、打ち合わせのため河口湖へ。加藤さんが履いていたスニーカーにはレッド・ツェッペリンのレコードジャケットの模様が入っていた! 本当にロックが好きなんだなぁと思いました。

 写真を撮った前の日に加藤さんから「ご飯を食べていけよ」と言われてました。河口湖のスタジオにはコックさんがいるけど、ミカ・バンドの時は加藤さんが自分で料理する。河口湖のスタジオにはちゃんとしたキッチンがありますから、加藤さんはレコーディングの際に、食材やフライパンなどさまざまな料理用品をバンの後部座席いっぱいに載せていくんです。

 BSで料理番組を持っていたくらい、腕前はプロ並み。前菜、メイン、デザートまであるコース料理。それを加藤さんに振る舞ってもらえるのはミュージシャンとして特別級の名誉でもある。

 驚いたのがスケジュール。レコーディングは午後1時くらいから始まりますが、加藤さんは3時には厨房にお入りになった(笑い)。6時か7時に高橋幸宏さんらメンバーの方たちとともに食卓に招かれました。

 デミグラスソースのお肉がおいしくて。僕は仕事で行くフランスでフランス料理を食べますけど、加藤さんの肉料理が人生で一番おいしかった。その夜の晩餐が音楽人生で一番豪華で、思い出に残ってます。僕は作詞だけだから、食後に帰りましたけど、メンバーはレコーディングで、加藤さんは厨房の片づけをやって(笑い)。こだわりの人です。

 09年に亡くなられて10年以上過ぎました。加藤さんはザ・フォーク・クルセダーズを学生時代からやられて、メジャーデビューが67年。フォークソングの草分けだし、当時からすぐれた演奏をし、フォークだけでなくロックもやった。ファッションもアイビーやジーンズとかいち早く取り入れた方です。日本のサブカルチャーの父で、元祖ということを多くの人に知られてほしいと思います。

(聞き手=松野大介)

▽サエキけんぞう 1958年7月、千葉県出身。80年ハルメンズ、86年にパール兄弟でデビュー。ボーカル担当。作詞家として沢田研二、小泉今日子、モーニング娘。など多くのアーティストに提供。著書多数。「ロックとメディア社会」(新泉社)でミュージックペンクラブ賞受賞。