滝沢秀明「裏方こそ全てを出しきれる」生き様はまるで武士【証言から読み解くジャニーズの本音と建前】

滝沢秀明「裏方こそ全てを出しきれる」生き様はまるで武士【証言から読み解くジャニーズの本音と建前】

【証言から読み解くジャニーズの本音と建前】#5

 あと半年ズレていたら、ジャニーズ事務所は今よりも混迷の時代に入っていただろう。2018年12月31日、滝沢秀明の芸能界引退。そして19年6月、ジャニー喜多川氏が緊急搬送。滝沢秀明は同年1月からはジャニーズJrの育成を担う子会社「ジャニーズアイランド」の社長に就任したが、ジャニー氏が亡くなったのはその約半年後のことだった。そして、同年9月には滝沢がジャニーズ事務所の副社長に就任することが発表された。

 コンビを組んでいた今井翼も「滝沢はもう10代の頃から経営者的な才能があった」(※1)と称賛するが、自分の才覚を生かすためだけにした決断ではないだろう。

 滝沢秀明は恩に生きる男である。現役時代から「ジャニーズに拾われなければ今の自分は想像できない」(※2)、「本当に全てを与えられていたので、少しでも返したい」(※3)と語っていた。

「感情をバーッと出すことはない(中略)ほえたら負け」(※4)が信念の滝沢が「ただの少年が百八十度人生を変えてもらったわけですから、感謝するのは当たり前。それをわからなかったらアホ」(※5)と週刊文春の直撃に返した強い言葉は本音に近いはずだ。

 もちろん恩を感じるだけではない。「ジャニーズという歴史をつないでいく作業もひとつの恩返し」(※6)、「若者は絶対パワーがある」(※7)として、滝沢は表舞台に立ちながらも、後輩の育成に熱を注いできた。

 もともと、10代の頃から自身がテレビドラマに出演しているときもビデオカメラを回してメーキング映像を編集したり、YouTubeが流行する数年前に早くからネット上でジュニアの動画をプロデュースしたりと裏方志向。16年には「裏方こそ自分の全てを出し切れるんじゃないか」(※8)とも語っていた。

 もちろん“プレーイングマネジャー”として、生きる道もあったが「ジュニアといえども、やっぱりみんな人生をかけて活動しているので、僕もやっぱり人生をかけなければいけない」(※2)として、育成に専念したいと直談判。ジャニー喜多川は「私は驚きと共にうれしくて涙がこぼれそうでした」とコメントした。

 今年1月には、これまで自身の舞台「滝沢歌舞伎」を支えてきたジュニアのユニット・Snow ManをCDデビューさせた。滝沢といえば当時最年少で大河ドラマ「義経」の主役を担っていたが、自らが恩義を忘れないだけでなく、自身に恩義を尽くした者を報いるその生きざまはまるで武士だ。

 引退直前には「“ユーに10あげるから1返しなさい”って言われたことがあって」と恩師の言葉を振り返り「まだ1個も返せてないと思います」と語った(※2)。

 そして恩を返し始めた直後にやってきた恩師との別れ。死去後は「ジャニーさんの存在は大きすぎて、決して超えられる物ではない。だからこそ、今この仕事は私の一生をかけたテーマになりました」(※9)と、決意を強くした。生前「マネージャーなしで、自分でやれる人間ばっかりなんですよ(中略)ボクが知らん顔して消えちゃったとしても、十分できますよ」(※10)と語っていたジャニー。滝沢が自らの魂を継いで、ジャニーズという世界を豊かにしていく姿を見て、安心して旅立っていっただろう。 (おわり)

(※1)「FRaU」2012年10月号
(※2)TBS「中居正広のキンスマスペシャル」2018年12月28日放送
(※3)「MYOJO」2015年5月号
(※4)「サンキュ!」2012年10月号
(※5)「週刊文春」2016年9月21日号
(※6)TBS「櫻井・有吉 THE夜会」2016年7月14日放送
(※7)「POTATO」2011年8月号
(※8)「女性自身」2016年12月13日号
(※9)TBS「音楽の日」2019年7月13日放送
(※10)「AERA」1997年3月24日号

▽霜田明寛(しもだ・あきひろ)1985年、東京都生まれ。早稲田大学卒。WEBマガジン「チェリー」編集長。ジャニーズJrオーディションを受けたこともある「ジャニヲタ男子」。著書に「ジャニーズは努力が9割」(新潮社)などがある。