女優で歌手の宮城まり子さん93歳で死去 「ねむの木学園」創設者

引用元:スポーツ報知

 日本で初めての肢体不自由児童の施設「ねむの木学園」を設立し、園長を務めた女優で歌手の宮城まり子(みやぎ・まりこ、本名・本目真理子=ほんめ・まりこ)さんが21日午前6時55分、悪性リンパ腫のため、都内の病院で死去した。93歳だった。27日に関係者のみで学園葬を営む。

 学園によると、宮城さんは亡くなる直前まで子供たちのことを気にかけていたという。18日には見舞いに訪れた子供たちや職員に対し、8月に予定されていたコンサートを「絶対やらなきゃね」と話していたという。亡くなった日は、くしくも宮城さんの93歳の誕生日だった。

 東京都出身。戦後に歌手としてデビューし、1955年に靴磨きをして生きる戦災孤児を歌った「ガード下の靴みがき」がヒット。女優としても活躍し、56年のTBS系ドラマ「てんてん娘」や市川崑監督の映画「黒い十人の女」などに出演。舞台女優としても活躍し、日本初の長編アニメーション映画「白蛇伝」(58年)の声優や、TBS系アニメ「まんが世界昔ばなし」(76~79年)のナレーションなど、声の仕事でも知られた。

 60年に舞台で脳性まひの子役を演じたことをきっかけに、障害児に対する教育の場が整備されていない現状を知り「全ての子供に教育を受ける権利がある」と一念発起。旧・優生保護法下でまだ障害者への偏見が強かった60年代後半、自ら厚生省(当時)や静岡県に働きかけ、学園の設立が認められた。

 「売名行為」などの声にも負けず、数千万円の私財をなげうち、68年に静岡・浜岡町(現在の御前崎市)に「養護施設ねむの木学園」を開設。97年、同県掛川市に移転し、美術館や成人向けの身体障害者療護施設も併設した「ねむの木村」に発展した。絵画や音楽を通じて児童や生徒の能力を引き出す教育は、国内外で高い評価を得た。自ら監督を務め、学園の様子を記録した映画「ねむの木の詩」(74年)、「ねむの木の詩がきこえる」(77年)は多くの共感を集めた。

 プライベートでは、作家の吉行淳之介さんと、吉行さんが94年に死去するまで37年間にわたり私生活のパートナーだった。11年には学園や宮城さん個人の口座から元職員が約5億円をだまし取る事件が発生、元職員は実刑判決を受けた。

 ◆宮城 まり子(みやぎ・まりこ)1927年3月21日、東京・大田区生まれ。終戦後に歌手として劇場デビューし「毒消しゃいらんかね」「ガード下の靴みがき」などがヒット。紅白歌合戦にも8度出場した。68年に「ねむの木学園」設立。04年に東京都名誉都民、12年に瑞宝小綬章を受章。 報知新聞社