デビュー40周年の佐藤浩市、還暦間近でも「俺は映画人」…「Fukushima 50」で原発作業員熱演

引用元:スポーツ報知
デビュー40周年の佐藤浩市、還暦間近でも「俺は映画人」…「Fukushima 50」で原発作業員熱演

 俳優の佐藤浩市(59)が東日本大震災で被害を受けた福島第1原発で命懸けの対応をした作業員を熱演する主演映画「Fukushima 50(フクシマフィフティ)」(若松節朗監督)が公開中だ。徹底的にリアリティーを追求し、「緊張感のある映画に仕上がった」と胸を張る。自らを「映画人」と称する名優はデビュー40周年を迎えて「今後も血の通った人間を演じていきたい」と語る。俳優人生のターニングポイントや息子の俳優・寛一郎(23)への思いも聞いた。

 「Fukushima 50」が公開2日目を迎えた今月7日、佐藤は渡辺謙(60)と並んで東京・丸の内ピカデリーのロビーに立っていた。劇場へ足を運んでくれた観客に感謝を伝えて「お客さんと触れ合うことはあまりないからね。貴重な機会になりました」。

 新型コロナウイルスの感染拡大を受け、多くの芸能イベントが自粛となり、佐藤が登壇予定だった舞台あいさつも中止になった。映画館の客足も芳しくない。そんな状況でも見に来てくれたことがうれしかった。「震災当時は震災当時の状況があり、公開のタイミングでは、この状況がある。伝えるべきことが、より鋭利に伝わるんじゃないかな」と前向きに捉えている。

 映画は原発内部の知られざる事実を描いた。出演オファーを受けた際には「まだ早いんじゃないか。被災されて心に痛みが残っている方がいる」と危惧したという。作品に参加して、改めて考えてみると「早かったんじゃなく、ギリギリ間に合ったのかな。人間ドラマを含めた映画として提供するのが1年後だったら、遅かったかもしれない。痛みがあるうちに、みんなで考えることが必要だったと思う」。

 震災直後の5日間を描いた映画で原発の中央制御室(通称・中操)で作業員たちをまとめる当直長を演じた。地震に大津波、そして電源喪失、水素爆発など緊迫状況に見舞われながら、熱く仲間たちを鼓舞する役どころで「現在の我々は、原発がどうなったのか結果を知っているけど、当時は1分1秒先のことも分からない。そこをどう追体験していくのか、苦労した」。暗闇の中、防護服姿で緊迫感のある撮影が1週間以上も続き、「げっそりとして一気に老けた気がする」。

 福島第1原発の吉田昌郎所長を演じた渡辺とトイレで会うシーンが印象的だ。事故対応に一定のメドが立ち、心身ともに疲弊した2人が「俺たちは何か間違っていたのか」と語り合う。「象徴的に見せるために、2人が話すシーンは、あえて絞ることにしたんです。日本映画的ですよね」。福島第1原発事故とは何だったのか、このシーンは全ての日本人へ問い掛けるメッセージでもある。

 完成した作品を試写でチェックして手応えを感じた。「開始1分で地震が起こる。そして高さ10メートルを超える津波が発生して原発を襲う。それから2時間、思っていた以上に緊張感のある映画になっている」。映画のキャンペーンをスタートさせた福島・郡山では被災して避難生活を余儀なくされた人々にも試写を見てもらった。「つらい映像もあるけど、踏ん張って、乗り越えて見てもらって『いい映画を作ってくれて、ありがとう』と言ってもらえた。救われた気がするね」

 俳優生活40周年。12月には還暦を迎える。「早いな。気づいたら、そんなになっているんだ。全力で走ってきた。いつやめてもいいや、というところもありますよ」と冗談交じりに語る。渡辺とは1歳違い。「謙ちゃんの方がバイタリティーがあるな。ほぼ同じ道を走ってきた。その連中が頑張っている。俺も負けてられないな」と刺激を受けている。

 

「俺は映画人」。そのこだわりを胸に秘めている。「あと何本できるか分からないけど、映画をやり続けたい。メジャー作品だけじゃなく、独立系の作品もやっていく。そのスタンスは今後も変わらない」。昨年は「空母いぶき」(若松節朗監督)、「楽園」(瀬々敬久監督)など6本の出演映画が公開されたが、今年も今作のほか、「騙し絵の牙」(吉田大八監督)などの公開を控えている。

 「人であること」が俳優としての理想像だ。「“人もどき”がいる作品はたくさんあるけど、血が通った人が主軸にいる映画は少ない。ちゃんと人がいる映画をやっていきたい」。主役にもこだわらない。「右端にいようが、真ん中にいようが関係ない」。与えられた役割で全力を尽くすのが信条だ。

 デビュー当時から三國連太郎さんの息子として注目されたが、決して順風満帆な俳優人生ではなかった。地道に経験を積み、「役者として食っていけそうだと思えるようになったのは33、34歳くらい。相米慎二監督、阪本順治監督との出会いが大きかった。それがターニングポイントかな」と振り返る。「いろんな巡り合わせで映画は成立する。それが運命。俺はどこまで行っても映画の人間」

 気心の知れた阪本監督の最新作「一度も撃ってません」(4月24日公開)では息子の寛一郎と共演を果たした。「あえてアドバイスをすることはない。良く言っても、悪く言っても、いろんなことを否定しなきゃいけなくなる」。言葉を交わさなくても芝居を見れば分かる。「このままじゃだめだと思ったら、何かを言わないといけないと思っている。ただ、今のところそれはない。今言えるのはそれだけかな」

 自身も父・三國さんの偉大さに圧倒されながら背中を追ってきた。誰よりも息子の気持ちが分かる。だからこそ、俳優の先輩として、父として、穏やかな視線で見守っている。(有野 博幸)

 ◆佐藤 浩市(さとう・こういち)1960年12月10日、東京都生まれ。59歳。80年NHK「続・続事件」でデビュー。81年「青春の門」でブルーリボン賞新人賞。2002年「KT」などで同主演男優賞を受賞。94年「忠臣蔵外伝 四谷怪談」、15年「起終点駅 ターミナル」「愛を積むひと」で報知映画賞主演男優賞。16年「64―ロクヨン―前編」で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞。父の三國連太郎さん、息子の寛一郎と親子3代で俳優。

 ◆「Fukushima 50」

 90人以上への独自取材と実名証言でつづられた門田隆将氏のノンフィクション「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」(角川文庫)が原作。東日本大震災の津波によって全電源喪失という危機に見舞われた福島第1原発。その時、諦めずに闘った原発作業員たちを海外メディアは「Fukushima 50」と呼んだ。巨大セットで原発を再現し、米軍の横田基地でも撮影。「沈まぬ太陽」(09年)の若松節朗監督がメガホンを執り、約2200人のエキストラが参加した。

 ◆映画「一度も撃ってません」で息子と初共演

 佐藤は9日、都内で行われた映画「一度も撃ってません」の完成報告会見で寛一郎との初の本格共演について語り、「僕の役は説明ぜりふが多くてね。NGを出して、息子に冷ややかな目で見られました」と苦笑した。

 阪本監督は「何となく、浩市くん、寛一郎くんとご飯を食べる機会があって、浩市くんから『寛一郎を演出すると、(三國さんを含めて)3代を演出することになるぞ』と言われました。共演OKなんだなと思ったんです」と告白。「浩市くんにしても『寛一郎がこんなベテラン勢と芝居することもないだろうから』という思いだったんでしょうね」と振り返った。

 桃井かおり(68)は「浩市さんは、すごくいいパパなんですよ」と明かした。石橋蓮司(78)も「撮影では寛一郎に『俺を潰せ』と言っていました。でも寛一郎と一緒にやれたということで、3世代と共演させてもらえた。私も古いね」と感慨深げに語った。

 佐藤と寛一郎は19年公開の「雪子さんの足音」(浜野佐知監督)にもそろって出演しているが共演シーンはない。今回、出版社の上司と部下役で初めて共演することになる。

 ◆激やせも回復、地方ロケに参加

 ネット上で佐藤の激痩せを心配する声が殺到していたが、所属事務所が真相を明かした。「1月に内視鏡手術で大腸のポリープを取り、2月下旬にも手術をしました。1月下旬にはアニサキスにあたり、食事ができなかったんです」と説明。すでに回復し、地方ロケにも参加している。 報知新聞社